はじめに (シンボルマーク(ロゴマーク)作成
にあたって) |
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遠くばかりを見つめ、足下(あしもと)を犠牲にした日本人
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戦後、私たちは、その大いなる「経済成長」の中で、ビジョンを打ち立てること、そして雄々しく未来を見つめ生きる事に気持ちを注ぎ邁進してきました。
その姿勢は大きな成果をもたらし、確かに経済大国の仲間入りをしました。しかし、そこには大きな犠牲があったのも事実です。「未来を見つめ生きた」と言えば聞こえは良いですが、実際は金を追っかけ、際限なく市場の拡大を図ったのです。金があれば幸せになれると錯覚し、金のため「足下(あしもと)」を犠牲にしたのです。足下とは「家族」です。そして、ついに親父(オヤジ)は、金を持って帰れば万事OKと、子育てからも離れたのです。(明治維新までの家庭では、子育ては父親の仕事でした)挙げ句、母親も「金さえ納めてくれれば・・」という感覚も広がっています。
今、この事実を直視し、「家族」があって仕事が出来る、家族にどれだけの愛情を注いで生きていけるか?が、これからは要にならなければなりません。
そこにこそ、本来の幸があり、足下である家族の心が1つとなり、リズムとなって初めて運も開くのです。
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家紋とは縦軸の象徴であ
り、親子・先祖を思う心を育む
さて、どの家庭も、本来、「家紋」を受け継いでいます。
しかし、現代は家紋への意識も希薄になり、自分の家の家紋さえ知らない人が多くなっています。
何故に、日本はかくも家紋を珍重したのか、
それはまさに、家を象徴するシンボルマークであり、先祖伝来の縦軸を象徴するものだったからです。
日本に生まれ、○○家に生まれ、そこに立脚するからこそ、考えの違い・生活の違い・文化の違いも見えてきます。
立っているところが、ガッチリしているから、そこを軸に回転運動も生まれます。
悲しいかな、今、日本人は、欧米の人権・個人主義という信仰に餌付けになり足下を見失いつつあります。
挙げ句、「われよし」の個人主義に陥り、ひたすら功利的になり、四季を感じる芸術的感性も失速しています。
家族の共生・協力・結束は薄れ、2元対立の現実に骨抜きにされ、背を向けた家族は夢さえ描けない状態となっています。
苗字と家紋の関係
では苗字と、この家紋はどのような関係か、その相関関係は、以下のようになっています。
苗字 |
陰 左脳刺激 理論 競争 現実 遠心力 左回転 |
家紋 |
陽 右脳刺激 創造 共生 夢 求心力 右回転 |
この両輪があって縦軸(親子・先祖)と横軸(兄弟・社会)が揃います。
家紋への意識は戦後、昭和30年頃から、次第に希薄になってきました。家庭への求心力が薄くなり、親子関係が崩壊し始めたのも、この頃からです。
家紋を蘇らせる
では、巴紋を、輸入住宅の外壁に飾るでしょうか
竹笹紋を、子どもの持ち物にシールするでしょうか? 卍紋を、ブレザーのエンブレムにあしらうでしょか?
なぜでしょう。それは、江戸・明治時代と現在の感性が違うからです。
かといって、まったく新しい紋をつくるというのは、あまりに縦軸(親子・先祖)を無視しています。
そこで、家紋という先祖伝来の「しるし」と現家族の因子を分析して、新たに家族のシンボルマークをリズム合わせする、それを企図したのがこの「ファミリーシンボルマーク」です。
ごく一端ですが、ファミリーシンボルマークの反響をいくつか記すと
・マークを見て、家族の絆を無意識のうちに実感するようになった。
・人の巡りが良くなった。
・家族に気持ちを注ぎやすくなった。
・手帳に貼ったマークを見る度に家族を思い起こすようになった。
・いつも居間に飾っています。携帯のシールを見る度、居間の団らんを思い出してます。
・無意識の一体感が生まれつつあるのを感じます。
等の反響を頂いています。
今、足下を見つめなおす時です。
環境免疫学講座にも示した通り、遠くではなく、日常に心を込める、日常イズムを確立する時です。
この最小単位である家庭が確立すれば、企業も、国家も家庭同様、自ずと回転運動するようになります。
そのためにも、家族が同じ象徴物(シンボル)を持つことは、あまりに大きな意味があります。
ファミリーシンボルマークは、家庭をイメージする起点となり、そこから多くの信頼関係・愛情・一体感が生まれてくる。そして、マークは日常イズムの強力なツールになるものと確信しています。どうぞ、ご検討下さい。
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