科学、宗教、文化と、私たちはこの世の中で様々な要素を生み出してきました。
これらの発展を背景に、私たちは少なくとも物質的実感の伴う現生活を営んでいます。
人の生き方を問うとき、
私たちは物事に”客観性があるか”また”科学的見識はあるか”といった
一見して冷静な判断材料を見出そうとします。これは大事なことであり、
文明社会の中で暮らす私たちにとってなくてはならない考え方だと言えます。
しかし、一方で私たち人間は、
微細な心の揺れ動きを感じながら個々の人生を歩むという、極めてドラマティックな一面を備えています。
この科学文明の真っ只中で、その曖昧な心の部分が存在しているのです。
従って、よりバランスの取れた近未来社会を築いていくためには、
現行科学が発達することに並行し、心の考究・育成が急務なのです。
そして、
そのバランスを取るために、
・科学を、より本質化する
・心を、より本質化する
ということが必要なのです。しかしながら、よくよく考えてみて下さい。
他項でも度々ふれましたが、
人間の視覚も聴覚も全宇宙の億万分の1の範囲しか見れません
つまり、宇宙のごくわずかな部分しか射程にしていないにもかかわらず
現代の地球科学は、人の五感に解るような形に変換できて始めて、
データ・研究成果として成立するのです。
こうして、まるで地球を制覇しているかのような錯覚をしている。
このような現代科学の延長線上には、絶対に本質の科学が成立しえないのです。
五感の科学から本質の科学へ
と移行して始めて心・魂に肉迫していくのです。
心も同様です。次元を超えて本質の心に肉迫しなければ、心の本質・魂が見えないのです。
だからこそ
一端、リセットする
その勇気が必要になります。
蟻たちを見てください。
森の木々を見てください。
絶えることなく子育てにいそしむ鳥を見て下さい。
彼らは彼らの社会の中で、ただひたすらにお互いの存在を意識しつつ群れを成しています。
地球上のあらゆる種は崇高なる目的があるのです。
その目的と物心が呼応する形で我々は生命を維持しているのです。
私たちはここで一旦立ち止まり、歩んできた道を振り返り、
ひたすら追いかけているものを省みる勇気が必要です。
この社会で胸を張って生き抜きながら、正邪・陰陽・表裏といったものを多面的に捉え、
今一歩、深く踏み込んでみる勇気が必要です。
私たちは自然界から生まれ、自然の中に滅していく存在です。
私たちには生きる価値があります。
限りなく純粋に愛を育み、そして生きる目的へ思いを馳せてみましょう。
これから生まれくる子どもたちのためにも。
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