自然界に直線はない
文・Phot,Kohsi
私たちが住むこの地球では、様々な曲線が認められます。
木々の葉や私たちの身体は、まさに曲線の集合体ですし、
A・B間を直線で結ぼうとしても、定規を使わない限り、結局は緩やかな曲線が成立します。
そもそも、自然界は、もれることなく全て曲線で構築されています。
直線は1本もありません。
命は本来、曲線。それが大人になるにしたがい、直線的になるのです。
さて、「何でもいいから絵を描いて」と子供に言うと
小学校低学年は、ためらいもなく、その時、感じたものをダイレクトに描きます。
一方、高学年になるほどに、何を描くか考え→探し、サンプルを見つけ、定規を探し、と時間がかかるのです。
例えば、以下の絵をご覧下さい。小学校1年生に「何でもいいから」と描かせた絵です。
どれも1分以内で、ためらうことなくスラスラと書きました。
一見、他愛もない子供の絵ですが、よくよく考えると、
私たちの思考回路を遙かに超えた絵柄がそこにはあります。
描いた後の本人の説明によると
1は、・ 空飛ぶ女のコック ・ 帽子に羽根が生えている ・ 羽根に毛が生えている
2は、・ かみなり男 (最初はカブトムシと言って描いていたものが、仕上がりは雷男になる)
3は、・ 宇宙の絵 ・ 真ん中の赤は心臓 ・その右横の赤点々は卵
・ 外周の赤点も卵、こうすると強くなる、とのこと ・右横の小さい顔はお化け
どうでしょう?大人の思考回路ではありません。
例えば、1の絵については、普通、空飛ぶのであれば大人は背中に翼を付ける筈です。
本人に聞くと、「帽子を替えれば誰でも飛べる」と、
どれも、大人が不審に思うことにも全て、子供なりの夢が託されているのです。
そして、直線を使わない、波を描こうとする、不規則な波を重ねて描いているのです。
大胆な組合せ・構図とデザイン。
どれをとっても大らかな魅力を感じます。しかし、この子どもたちが
描く絵は、年をとるにつれ、いろいろと手法を覚え、直線の多い絵になってきます。
「ビルはこんな形だ」「人はこんな形だ」と固定概念が介入し、
心で捉えるべき絵画の世界でありながら、中途半端な写実性を追求するようになるのです。
私たち人間は、あくまでも自然界の住人。
上田さんも佐藤さんも山下さんも、固有の曲線を内包する個性あふれる一個人なのです。
さて
曲線は物事の根幹に存在しているのです。
自然界の中にある”波線”で、真っ先に思い出すのは海や湖の”波”です。
この波が全て規則正しく波打っていたら...気味が悪い気がしませんか?
まるで、軍隊のパレードのように波打つ光景..。
また、風に揺らぐ木々の葉がデジタル的に動いていたら...
想像すると恐ろしく不自然な光景が目に浮かびます。
こんなことはこの自然界では当然ながらあり得ません。
「不規則な波」、これこそが、地球上での正常な生命現象とも言えるのです。
そして、とても大切なことは、
子供の絵のように
異質で不規則な波を重層させるとで、はじめて宇宙の規則性に融合するということ
それが、他項で述べた「波立の法則」 の根幹となる混在の力学なのです。
人は、命の手本となる自然に交わり、
波長の違う人と交わり、
苦楽を共にし、上昇を目指す。
これこそ、次元上昇の王道なのです。
命の曲線が
それぞれに絡み合い、押せば引き、引けば押し、捻れば回転し存在し続けていくのです。
これを繰り返して、全体として調律されていくのです。
人間関係も同様です
順風満帆、一直線、ということは本来、起こらない。
波打つから、強く・豊かになるのです。
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