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賞罰・報酬の次に来るものは・・・
文Phot,Kohsi 一般に、子育てにおいても、人材育成においても 「叱る」から「ほめる」の流れが主流となっています。 これは でも記した通りですが、大切な事は、1章で示した通り、「地球が混在の状態」で今がある。 と言うことであり、二元性を認め、主従を明確化し、次元上昇すると言うことです。 下図をご覧下さい。 叱る・罰則を強化すると、そこに「萎縮・憎しみ」という現象が生まれます。 そして、その現象は規律・権利へと流れます。 一方 褒める・賞するを強化すると、そこに「喜び・歓喜」という現象が生まれます。 そして、その現象は自由・義務へと流れます。 過去、教育界がこの2局を右往左往してきたのです。 なぜなら、褒めるに徹すると、最終的に「わがまま」になり これじゃヤバイと、今度は罰則を厳しくする、そうすると今度は「自主を欠き、他力になる」 そこでまた、最初に戻って繰り返す、という具合です。 なぜそうなったのかというと、 ・文科省の担当が、その時々にのみ対処し長期スパンで見なかった事、 ・教育学者が、混在の地球実態と、二元と主従の力相構図を見極められなかった事 ・新機軸の教育論が一極集中型教育スタイルに適合しなかった事 などが上げれます。 だから教育史自体が輪廻を繰り返して来たのです。 ですから、「褒める」と「叱る」は比率の上にこそ、成立しなければならないのです。 その比は、万象の法則比率(海と陸の比率など)の通り、 褒める:叱る=7.6:2.4 です。この時はじめて上昇気流が生まれるのです。 そして、人類はこの域から、さらに次のステージへ教育を進めなければなりません。 それが、先の項でも触れた、条件なしの導きになるのです。 条件なしの導きというのは、解りづらいかもしれませんが、 極端な例で言えば、子供が計算問題に取り組もうとしていて 「これが解けなかったら、叩く」・・・(上図中@) 「これが解けたらDS買ってあげる」・・・(上図中A) というのが条件つきです。一方 「これ解けるかなぁ〜」・・・(上図中B) というのが条件なしです。 わかりますよね、解けようが、解けまいが、そこには罰則も賞賛もない だけど、解くことに楽しみ・生き甲斐を実感し、 解けたとき、自身で克服感を実感し、充足する(比較なし)。 この世界です。 この世界から協同・協調の精神が生まれ、創造の気に導くのです。 そして、この感性を最も育みやすいのが 自然観察 なのです。 なぜ「自然観察か」? なぜなら、自然界は全て条件なしで、常に相関・連鎖しながら稼働しているからです。 最高の教科書がそこにあるのです。 これは、学生であれ企業人であれ 人として必ず通過してほしいポイントでもあるのです。
では、具体的にどのように「自然観察」するのが良いのか 別項にて、事例をいくつか紹介したいと思います。
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