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  世間には様々な罰則があります。  ・駐車違反すれば、○○      ・シートベルトしなければ、○○ ・人を殺せば、○○・・ といった具合で、罰則を強化すればするほど規律が守られるようになる。 というのは事実です。即効的に効果が見えるので、つい、その手法に走ってしまうのです。 例えば、私がかつて高校教員になりたての頃、 生徒を静かにさせる、ということに苦労しました。 そして、単純に、静かにさせている先生の姿を真似た訳です。 強烈に叱る・怒鳴る・教卓を棒で叩く・罰則を厳しくする・・・・ 確かに即効的に静かになりました。 そして、この「怒鳴る」を定期的に実践するとどうなるかというと 生徒達は、「キタッ、キタッ !!」とばかりに、私の姿が見えると キチンと席につき、話しをやめます。 この生徒のアタフタとした姿が目に入ったとき 私は、そこに心地よさを感じたのです。自分の存在感を実感したのです。 しかし、その時、この感覚は「ヤバイ」と感じたのです。 確かにそれは「ヤバイ」ことでした。 その感覚は生徒に視点はなく、明らかにの自己満足に根付いているからです。 いわゆる、生徒にとって、それは「つくろい」でしなかいのです。 なぜ静かにしなければならないか?が把捉できていませんから、 結局、何が起こるかというと、見えないところでは何をやってもイイという発想を加速させてしまうのです。 企業も同様です。強力な圧力で経営を管理・実践していると 企業の利益よりも、働いているフリをするようになる。 お客様が喜ぶ提案よりも、目の前のオーナーがどうしたら喜ぶか?に意識が向かいだすのです。 しまいには昼間、見えないところでダラダラして、あえて残業して頑張ってます。 というフリをする輩が増えてくるのです。だから今、カリスマオーナーの企業がドンドン失墜していってい るのです。   罰則で規範を整えようとすると、最終的にどのような人材が育つかというと 罰則が厳しければ厳しいほど、罰則を基点とした生き方になる、ということです。 罰則基点ですから、 そこには当然、創造力は育たず、後退意識は、バランス感覚の欠如・免疫力低下に通じていくのです。   家庭も企業も学校も、教育的立場の人はこの現象を敏感に受け止め、気づかなければならないのです。 「生徒・社員がイキイキと心地よい」 そのことを喜ぶということ この子が、この社員が一番輝く姿は何だろう、を考えるということです。 
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