総目次
 

 

カタチの法則 町づくり

安部浩之作品No,070419
                               文Phot,kohsi

全国的に「景観整備(町づくり)」が盛んになっています。

では、現在の「景観整備(町づくり)」は、どのような状況で進められているでしょうか?

・他地域の視察 ・近景遠景の分析 ・対象地域の歴史調査 ・コンセプト探し・・・

等々、様々です。

それらが、担当課・大学・研究機関・マーケティング会社・旅行会社などから提案され

「町づくり」へと展開しています。

その提案の根拠として、

・地域住民のアンケート調査、分析 ・景観比較などの調査データが使われたりしています。

そして、景観整備については、

   時に、地域の景観・商業を守れと高層の箱モノが批判され

   時に、推進派と反対派が拮抗し

   時に、行政と地域が2分され

という問題を往々にして伴いがちです。

しかし、大切なポイントは、その地域(土地)は、国土である前に、

市有地である前に、仮に購入した私有地であれ、お借りしている

「地球の土地」

だということです。ここから始まらなければならないのです。

ですから「地球にとって何がベストなのか」を発想する事です。

そこに、「地球に対して敬う」という想いがあれば、必然的に、

  ・地球の外から見た生態系の確保 

  ・地球磁場との整合性・バランス性 

  ・地球(地)の形とのバランス調整、

等が発生します。もっと事例を上げれば、例えば、

人の集う場というのは、基本的に山(円錐)を背にする、

自然の造形に添って成形する、というのが基本ですから、

その山に対して違背しない形が求められます。

それが地球上の土地に設置されるべき基本造形ということになります。

仏教寺院などがよく、寺院の名前に○○山○○寺と山名を冠するのは、そういう理由もあるのです。

 

では問題です。考えて見て下さい。

【問題】 下図のような山と海を持つ中間の傾斜地に 

            下図のような円弧を持つタワーを建てるとし ます。

その時、下記 CD のいずれが正しいでしょうか?

感覚的で構いません。よくよく眺めて頂いて、あなたは、C・D どちらが自然な感じがしますか?

既に、お解りのことと思いますが、答えはです。

山を背にして、地球の造形にそって海を前面として孤を描かせるということです。

これが地球にやさしい・地球の造形を射程にした設計であり、配置です。

他項「気エネルギーは面から入り、点から出る」でも触れた通り、

エネルギーは面から入り、点から噴出しますから

山の頂点を中心軸として、裾野の周辺地域を円で連結させ、上昇させるべく動いています(下図)、

であれば、場になじみ、場の気を調整し、場のエネルギー値を高め、

地域住民の気持ちが合意のもと1つになる方向に向かいます。

しかし、であれば、山側とは、逆に「気」の流れを噴出させますから、

場の気を乱し、場のエネルギー値を下げ、住まう地域住民の気持ちが対立の方向に向かいます。

特に、先の尖った高層物というのは、顕著に気が流れますから、

その角度など充分、注意を要するのです。

こういう風に、気が乱れると、 必ずこの地域一帯に3年後、7年後、12年後という周期で

南 東方位において氣が乱れ、土地にまつわるトラブルが発生するようになります。

地球自体が自浄化すべくそのようにな力が働くのです。

残念なことに、これは、日本のある地域での配置をしてしまった実際の話しです。

ではなぜ、このような失敗をしてしまったのか?日本を代表する有名な設計者ですが、

理由は、設計段階でそのタワーの設置される周辺の土地だけを取りだして、

机上で設計をはじめたからです。そして、地球をうたい、中心点を近くの人工の公園に置き、

その弧(こ)を描く曲線をタワー曲線に使ったのです。違います。

地球をうたうのであれば、その地域の地形をよく読み込み、高いもの、

つまり山を背にして弧を描かなければならないのです。

「地球に・・・」とは名ばかりで、逆に「地球を踏みにじった」タワーだという事です。

 

また、山肌に階段を造る場合も

AよりもBの方が、地球自然の造形に忠実に設計されているということになります。

 

つまり、町づくりは、商業の活性化・景観の確保なども大切ですが、

その前に、我々人間に、水を濁らせ・土を汚染しと傷つけられても

耐えに耐えてきた「地球」にやさしい、をまず発想しなければならないのです。

「ここはオレの土地だ !」 「ここは市の土地だ !」

を主張する前に、そこは「地球の土地」だということです。

地球あっての人類です。地球あっての町です。今こそ、時間も空間も抱き込んで、

オンリーワンからオールワンへと発想をシフトしなければならないのです。

この底辺があってこそ、地域の歴史・伝統・環境が手を結び、

イヤシロチを創出、独自の景観創造が始まります。

音・色・形の科学から始まった環境免疫学に基づく町づくりの基本はここにあります。

そして、人がそこに住まう限り、

人間中心のアンケート調査や景観の横的比較のみを証左とするのではなく

宇宙の法則性・地球と人との相関関係を射程に入れた広範なスタンスが必要なのです。

悲しいかな、テーマの細分化と人間中心を得意とする研究機関からは、

そのような発想が誕生しにくくなっています。

 

大地に建造物が建つ、それは大きければ大きいほど

一見、雄々しく、壮大な姿でしょう。施主は、地域は、栄華の一端を垣間見るかもしれません。

しかし、

雨はその建造物のおかげで、立地している部分に降り注ぎ、循環する事が出来ません。

また、現代は建築法により、コンクリによるベタ基礎が義務づけられるために、

                               土は、大地は・・・・呼吸ができません。

雄々しい建造物のおかげで、裏の土地には光があたりません。

風の流れも変わり、植物も育つことが許されません。

それだけ、天地の循環を人の都合で遮蔽(しゃへい)しているということです。

だからこそ

人は、「許し」を請わなければならないのです。

設計する者は、造形のおもしろさや奇抜性を追求する前に

厳かに、誠実に、畏敬の心を持って、

感謝の心を持って、地上を造形するのです。

生活者も表面的な利便性のみを追求するのではなく

地球中心の正しい知識・地域の歴史に基づいた環境に心を注ぎ

そして

買った土地であれ、地球さんにお借りして

「住まわして頂いている・事業を営ませて頂いている」

という感謝を心に刻む。

この「心」にこそ、「許し」が成立し、天の恵みが注がれるのです。

人に癒しと歓びを与える、美しい地球空間はその心からしか生まれないのです。

アメリカインディアンもハワイの先住民も、耕作をする前に祈りを捧げます。

その祈りは

「ここで土を掘り起こし、耕作を進めてもよろしいですか?」

という「伺いの祈り」です。不可であれば耕作をしません。ここに文明の高さを感じて下さい。

金が動けば、何でもアリの先進国と言われる社会こそ、地球破壊国・後進国なのです。

 

最後に、私はとても心躍り「神々しさ」さえ感じる、文章に巡り会いました。

左官職人・挾土秀平氏の「歓待の西洋室」と題された文章です。氏は文章の後半でこう記しています。

「・・・・人間にとっては一見あべこべに見える条件だが、

     地霊を喜ばせる建物が、

       ひいては人間を喜ばせる建物であると、

                    私はどこかで信じているのだ。・・・・・」

挾土氏の、この高い境地へ敬意を払うと共に、ここで皆様に紹介したいと思います。

5ページに及ぶ文章ですが、挾土氏のリンク了承(2008.5.30)を頂きましたので、

以下、クリックして是非ご覧下さい。(安部浩之)

「挾土秀平の夢」 挟土氏公式サイト内)

 

ウィンドウを閉じる 総目次に戻る