総目次へ |
先祖供養で開運 − 毎日が先祖供養 −
「先祖供養」とは、この地上界に生きる者が、死者の魂をグレードアップさせる行為です。 これまで、そのための数々の手法が編み出されてきました。 まず、対象が魂という霊体ですから、正確には「霊」について理解しておかなければなりませんが、 そのことは別途、詳述するとして、ここでは、あくまでも供養という側面に力点をおいて要点を記します。 ・近年、あの世とこの世の境界が、ゆるくなり、あの世がこの地上界に一気にアプローチしている。 ・旧来のあの世へのアクセスから始まる供養から、地上界主体の供養が可能な時代圏に入った。 ・御霊は、密教で言う「加持感応」、禅でいう「感応同交」の原則にしたがい、 類は類を呼ぶ法則性のもとに動いている。つまり、同類を背後霊として呼び寄せている。 これらの状況から、地上人の生活が、極めて両極化される現象となって現れてきます。 つまり、悪には悪が折り重なるように霊体を絡ませてきますし、 善には善が折り重なるように霊体をからませてきますから、極善化・極悪化という現象が現れる訳です。 では、そのような憑依現象というものが何故に発生するのかというと、 基本的には宇宙の原理原則に従って、ということになりますが、特に、そこに志向性が発生しています。 つまり、肉体があってもなくても「救われたい」という、本来の魂が持つ志向性によるのです。 悪霊といえども、魂が本来もつ「救われたい」という念を根底に持っているということです。 開運とばかりに、念の力で悪霊を外したり、封じたりの手法は、一過性のものであり、 救いどころか、逆にカルマを積んでしまう結果となるということです。 ここにいわゆる「霊能のカルマ」が発生することになります。 「霊能のカルマ」は非常に重いですから注意が必要です。 例えば、テレビなどで、悪霊退散とばかりに、体から抜け出させる。 というような場面を目にしますが、次の日には、 またピッタリその体に同じ悪霊か、または同類の霊が張り付いているわけです。 ではなぜ、悪霊はそのように人間に憑依するのか? 「救われたい」のなら自ら徳を積んでアセンション(次元上昇)すればいいじゃないか? それが出来ないのです。なぜ、出来ないか。 答えは簡単です。霊体同士で、異質なものと触れあえないからです。 波長の合致するものとしか感応できないのです。 悪人が徳の高い人の話を聞ける、異質なものと触れあえるのは、 銀河系で唯一地球地上空間だけであり、 地獄の魂は地獄の魂を呼び寄せて徒党を組むしかないのです。 (これについては、詳しくは、第1章「混在する地球」) ですから 悪さをする悪霊に対して 「もういい加減にしろ。ここから離れなさい」 といって、万一離れても、また憑依してくるのは、彼ら、彼女らは、そうしなければ「救い」の道がないからなのです。 憑依をして、地上人と一緒に歩もうとするのです。 それは、まさに命がけで、全霊をかけて憑依してくる訳です。 そういう意味では、今こうして、この地上で、この文を読んでいるというのは、 天文学的に極めて希なラッキーな状況とも言えるのです。 とすると、これからの先祖供養とは、 地上人が自ら身を清め、清い人と触れあい、困っている人を助け、 と思いやりのある、愛に満ちた生活をする。 それ以外にない、ということです。 それが即ち、先祖供養に通じるということです。 悪霊をも抱き込んで一気に昇華させるということです。 特に、先祖供養という意味で大切なのは、 ご先祖の頂点、己からみて、先祖の先端にいる肉親との関係が集約体として、 そこにありますから、日頃から親に愛情をもって優しくする、 それ こそが最も早い先祖供養であり、本来の姿なのです。 しかしながら、ここをよく間違ってしまうのです。 「私は先祖供養をよくやってます」 と自負し、毎日、過去帳を開き、お経を上げる。という人もいます。 大切なことですが、ここに自己欺瞞を生じさせ、 本当に先祖の集約体である、生きている親に冷たくしたのでは 本末転倒だということです。 あなたの命は、多くの先祖の命の末に生まれたものであり 最高のご先祖は、生きている親 だということです。 そこに全てが封印されているのです。 この肉親に、心温まる言葉や行為があって始めて霊界が動き始めます。 不幸にも、今、親がいなくても、 ・肉親である親を思いやる ・言葉を思い起こし、教訓として生きていく ・親の失敗を繰り返さない ・残してくれた土地に感謝する ・残してくれた活字に感謝する そういうことが日常生活の中で息づいてこそ、上にさかのぼって、供養が成立するのです。 お墓に参るということも1つの節目ですが、 先祖供養の原点は家庭の生活にこそあるということです。 つまり、毎日・瞬時瞬時が先祖供養に通じているということです。 これが遠いようで、実は、最も早い先祖供養なのです。 |