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先祖供養で開運    − 毎日が先祖供養 −

安部浩之作品No,070316

「先祖供養」とは、この地上界に生きる者が、死者の魂をグレードアップさせる行為です。

これまで、そのための数々の手法が編み出されてきました。

まず、対象が魂という霊体ですから、正確には「霊」について理解しておかなければなりませんが、

そのことは別途、詳述するとして、ここでは、あくまでも供養という側面に力点をおいて要点を記します。

・近年、あの世とこの世の境界が、ゆるくなり、あの世がこの地上界に一気にアプローチしている。

・旧来のあの世へのアクセスから始まる供養から、地上界主体の供養が可能な時代圏に入った。

・御霊は、密教で言う「加持感応」、禅でいう「感応同交」の原則にしたがい、

類は類を呼ぶ法則性のもとに動いている。つまり、同類を背後霊として呼び寄せている。

これらの状況から、地上人の生活が、極めて両極化される現象となって現れてきます。

つまり、悪には悪が折り重なるように霊体を絡ませてきますし、

善には善が折り重なるように霊体をからませてきますから、極善化・極悪化という現象が現れる訳です。

では、そのような憑依現象というものが何故に発生するのかというと、

基本的には宇宙の原理原則に従って、ということになりますが、特に、そこに志向性が発生しています。

つまり、肉体があってもなくても「救われたい」という、本来の魂が持つ志向性によるのです。

悪霊といえども、魂が本来もつ「救われたい」という念を根底に持っているということです。

開運とばかりに、念の力で悪霊を外したり、封じたりの手法は、一過性のものであり、

救いどころか、逆にカルマを積んでしまう結果となるということです。

ここにいわゆる「霊能のカルマ」が発生することになります。

「霊能のカルマ」は非常に重いですから注意が必要です。

例えば、テレビなどで、悪霊退散とばかりに、体から抜け出させる。

というような場面を目にしますが、次の日には、

またピッタリその体に同じ悪霊か、または同類の霊が張り付いているわけです。

ではなぜ、悪霊はそのように人間に憑依するのか?

「救われたい」のなら自ら徳を積んでアセンション(次元上昇)すればいいじゃないか?

それが出来ないのです。なぜ、出来ないか。

答えは簡単です。霊体同士で、異質なものと触れあえないからです。

波長の合致するものとしか感応できないのです。

悪人が徳の高い人の話を聞ける、異質なものと触れあえるのは、

銀河系で唯一地球地上空間だけであり、

地獄の魂は地獄の魂を呼び寄せて徒党を組むしかないのです。

(これについては、詳しくは、第1章「混在する地球」

ですから

悪さをする悪霊に対して

「もういい加減にしろ。ここから離れなさい」

といって、万一離れても、また憑依してくるのは、彼ら、彼女らは、そうしなければ「救い」の道がないからなのです。

憑依をして、地上人と一緒に歩もうとするのです。

それは、まさに命がけで、全霊をかけて憑依してくる訳です。

そういう意味では、今こうして、この地上で、この文を読んでいるというのは、

天文学的に極めて希なラッキーな状況とも言えるのです。

とすると、これからの先祖供養とは、

地上人が自ら身を清め、清い人と触れあい、困っている人を助け、

と思いやりのある、愛に満ちた生活をする。

それ以外にない、ということです。

それが即ち、先祖供養に通じるということです。

悪霊をも抱き込んで一気に昇華させるということです。

特に、先祖供養という意味で大切なのは、

ご先祖の頂点、己からみて、先祖の先端にいる肉親との関係が集約体として、

そこにありますから、日頃から親に愛情をもって優しくする、

それ こそが最も早い先祖供養であり、本来の姿なのです。

しかしながら、ここをよく間違ってしまうのです。

「私は先祖供養をよくやってます」

と自負し、毎日、過去帳を開き、お経を上げる。という人もいます。

大切なことですが、ここに自己欺瞞を生じさせ、

本当に先祖の集約体である、生きている親に冷たくしたのでは

本末転倒だということです。

あなたの命は、多くの先祖の命の末に生まれたものであり

最高のご先祖は、生きている親

だということです。

そこに全てが封印されているのです。

この肉親に、心温まる言葉や行為があって始めて霊界が動き始めます。

不幸にも、今、親がいなくても、

・肉親である親を思いやる

         ・言葉を思い起こし、教訓として生きていく

・親の失敗を繰り返さない

  ・残してくれた土地に感謝する

  ・残してくれた活字に感謝する

そういうことが日常生活の中で息づいてこそ、上にさかのぼって、供養が成立するのです。

お墓に参るということも1つの節目ですが、

先祖供養の原点は家庭の生活にこそあるということです。

つまり、毎日・瞬時瞬時が先祖供養に通じているということです。

これが遠いようで、実は、最も早い先祖供養なのです。

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