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家族を思うと因果が調整される。

 

                                                                                                                             文/phot.kohsi

 

もう10年ほど前の事ですが、

仕事をしながら、懸命に勉学に励んでいる高校生がいる、ということで

彼を訪ねて、私と当時、全国高P連会長T氏と、ある定時制高校を訪問した事があります。

校長はすぐに彼を呼び出し、校長室で会わせてくれました。

最初は、小学生くらいの小さい体に目を疑いました。

校長いわく「十分食べ物がなかったから・・・、高校に入学した頃はもっと小さかった、

でも牛乳を飲ませたら大きくなってきた・・・」

と言うことでした。その彼が「将来を夢みて」という文章を残してくれています。以下に紹介します。

「将来を夢見て」

私は定時制高校入学と同時に、あるガソリンスタンドで働いています。毎日、お客さんの大切なクルマに燃料を補給し、洗車する仕事に携わっています。

今私はわけあって、中学校時代のある恩師のお宅に下宿させてもらっています。そして、ここから学校と仕事先に通っています。

 15年の人生を振り返ってみると、私にとってうれしい思い出は、思い浮かびません。小学校3年生の時に、母親が家を出てしまいました。中学校1年生のときには母親代わりとして、食事、洗濯の身の回りの面倒をみてくれていた、優しかった祖母が亡くなりました。中学校3年生のときには父親が家を出て、2度と戻ることはありませんでした。あとに残された祖父と幼い2人の弟妹とで、か細い力を出し合って生活していたその矢先の卒業目前の1月に、家が火事で全焼するという何ともやりきれない、悲しい出来事に見舞われました。また、この火事で祖父が大やけどを負い、現在も入院生活を送っています。

 16歳になり、県外に就職している姉を除いた家族の、小学校2年生の弟と小学校1年生の妹は、身寄りがないために、いまは養護施設に預けられています。こんな家庭環境なので、私は中学卒業後すぐに就職して、祖父や弟妹を助けて働く決心をしました。当然、高校進学なんて、私にとっては「夢のまた夢」ということで、まったく他人事でしかありませんでした。

 どうして私ばかりが、次から次へと不幸な目にあうのでしょうか。周りの友だちがうらやましくて仕方ありませんでした。住む家がなくなってからは、生活できないし、つくづく人生がいやになってしまいました。私1人が努力しても、どれだけのことができるのか、一番つらく悲しいときでした。これから先、どうやっていきていけばいいのか、真剣に悩み続けました。

 しかし、 そんな私にも思いがけない幸運が訪れました。中学校の学年主任だった先生が、私を預かってくれて、さらに定時制への進学も進めてくれました。保証人も引き受けてくれるというのです。「これからの世の中は、高校をでちょらんと、きっと困ったことに出くわすぞ」と優しくさとしてくれました。

 このご好意に甘えて、下宿させてもらうことになりました。毎日おいしい食事をつくってもらい、暖かい布団で眠るなんて、考えてもいませんでした。これが当たり前の家庭生活なんでしょうが、いまの私にはとてもうれしく思われます。この新しい家族、先生ご夫婦の愛情に支えられて、充実した日々が過ごせています。どのように感謝しても言い尽くせませんが、必ずご恩返しをしなければと、固く心に誓っています。

 ガソリンスタンドでは、気ぜわしい時間の流れの中で、少しでもお客さんに満足してもらえるように、気配りして働いているつもりですが、窓拭きや灰皿掃除をつい忘れたときなど、先輩に怒られることがあります。「仕事は頭を使ってするもんじゃ」といわれます。

 この6ヶ月の仕事を通して、人の心がわずかですが、分かってきたような気がします。お客さんとのほんの少しの会話・接し方で、その人が大きくみえたり、小さくみえたりすることがあります。

 こんなとき、改めて自分自身を見直します。分け隔てなく、威張ることなく接してくれるお客さん「ありがとう、ご苦労さん」と声をかけてくれるお客さんに出会えたときは、1日がすがすがしく送れます。

 私も、心の持ち方・接し方をきちんと身につけて、いままでお世話になったたくさんの人たちに、恩返しができるように努力を惜しむことなく、がんばりたいと思っています。

 根性だけは他の誰にも負けないつもりでいますが、働きながら学校に通う二重生活は、頭の中で考えていた以上に苦しいものです。疲れて休みたく思うこともあります。

 しかし、学校生活には、友だちと話しをすることで、昼間、仕事で疲れていたことも、先輩に怒られたことも忘れてしまうだけの暖かい雰囲気があります。クラスには年上の人もいますが、みんな兄弟のように仲良くしています。本当に高校に進学できてよかったと感じています。

 いま、私が抱いている夢は、

・「皆勤で卒業すること」

・「入院中の祖父、施設に預けられている弟妹を一緒に仲良く暮らすこと」

・「自分同様に、少なくとも弟妹を高校だけは卒業させてあげること」

の3つです。

 逆境の中で青春を送ることが、私に与えられた運命でしょうが、負けたくありません。これからは、人並みの生活を得るために健康に注意して、地道な努力を続けていくつもりです。

「若いときの苦労は買ってでもせよ」と昔のことわざにあります。自分の人生に悔いが残らないよう、これからの人生を一所懸命生きていこうと思います。
以上は、「子育て責任」(中経出版)という本の巻頭にも掲載 しています

父親も母親も家を出、祖父母も入院生活となり身寄りを失い、家屋の全焼・・・・と

幼い彼にとって、それは言葉にならない壮絶で不安な毎日であったに違いありません。

普通であれば、非行に走ってもおかしくない環境でしょう。

厳しい環境下ではあったけれども、その中で、通常では、ささやかな布団の暖かさ、同期生の暖かさ

を彼は「感謝の思い」で述懐しています。

それは、彼だからこそ感じ取れた、かけがえのない幸福感です。

さらに、そのような中でも彼は、弟妹のみならず、祖父母をも想い、前を向いて生きたのです。

それは何と尊い行いでしょう。

だからこそ、「彼の家族を想う心」の強さは、誰よりも深く・固く・尊く、そして、この苦労の1つ1つが

これから先、暖かく家族愛のある、ゆるぎない家族形成の原点になります。

そして、理解しなければならない事は、全て「家族を思いやる心」が原点にあるという事です。

だから、彼のように

目の前の、苦労は飛躍への礎(いしずえ)であり、その事を理解し、

時として、その苦労をも感謝し、生活の基盤である

「家族をおもいやる心」があれば、誰もが人生の成功者である。

ということです。

不幸を環境のせいにしたり、不幸を先祖のせいにしたり、

家族を無視して、自分のしたいいことだけを考える。

という生き方は、私の知る限りでは全く解消されす、輪廻するだけです。そうではなく、

今、只今の家庭環境を真っ正面から見つめ、心を注ぐ、ということです。

何人も、家族の中に因果の雛形が集約されて現れるように出来ています。

ですから、「家族を見つめる」ということが最速の因果調整・開運になるのです。

悪しき因果は、天が最も身近な家族に、

            調整しやすいように家族に潜(ひそ)ませてくれています。

ですから、家族をよくよく見つめることです。

 ・会社で部下がついてこない、と嘆(なげ)く前に、あなたは子供にどう接していますか?

 ・納得いかない上司がいる、と嘆く前に、あなたは、生きてある親にどう接していますか?

 ・同僚と上手くいかない、と嘆く前に、あなたは、兄弟にどう接していますか?

その根っこを理解すると、あとは自然と、部下がついてくる・納得いかないと思っていた上司が変わる、

離れるというような事態が自然発生するものなのです。これが因果の法則です。

         (実は他項で紹介しているファミリーシンボルマークによる意識を一つにすることの 意義は深く、
                                               その意図は、ここにこそあります。)

つまり、今の自分に何が出来るか、何をしなければならないか、どういう愛情を注がなければならない

かを先の定時制高校生の独白を読まれ、よくよく理解していただきたいと思います。

 

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