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人をほめると、天命に近くなる  

 

「字が下手だね〜、足が太いね〜、顔がキモイ〜、企画力ないね〜・・・」

と欠点・短所を言われ続けたら、誰もが意気消沈してしまいます。

逆に

「笑顔がいいね〜・目が輝いてるね〜・頑張ってるね〜・・・・」

ほめられてイヤだ !という人はまずいません。

だれもが褒められると、たとえそれが、事実と違っていても嬉しいのです。

しかし、差別化や競争を軸とする社会の中では、

ややもすると、叱責や疎外や批判の気に満ちあふれてしまっているのです。

例えば家族において、言葉に出さなくても、

皆が家族の欠点を見つめ続けたら家族の絆(きずな)はスグに崩壊してしまします。

皆が家族の長所を見つめ続けたら家族は、いよいよ強い結束力を発揮します。

結局

欠点にばかり、意識が向かうと、どうなるかというと

誰もが、推測できる通り、そこでは、まずコミュニケーションが閉ざされ

感謝は生まれません・感動も生まれません・愛情や創造も生まれません。

従って、結果として、本来のその人の天命から離れ、破壊因子を呼び寄せていくのです。

 

一方、人の長所に目を向け、言葉に出し伝える(ほめる)

という行為はどうなりますか?もちろん、上記の反対の事態が展開します。

まず、コミュニケーションがスムーズになり、感謝・感動・愛情・創造というレールに乗ることになります。

こちらは、分子の結合力を強くしますから(※ 「感謝は分子・原子の結合力を強くする」参照のこと)

当然、自然と天命に出会い、成長因子を呼び込んでいくのです。

人は、この地上で因果律を元に生きていますから、これは即ち「生きる極意」と言ってもよいのです。

 

「うちの子は、うちの社員は、自堕落で無愛想で・・・、褒めようにも、何にも褒めるところがないよ・・・」

というかもしれません、しかし、人がこの世に命を頂いている以上、

褒めるところがない人などいないのです。

例えば、あなたは、その子を「落ち着きがなく、騒がしく、集中力がない」と判断していても

それは、あくまでもあなたの世界観からみた判断です。

世間では、「行動が素早く・物事にこだわらず・積極的」と映っているかもしれません。

であるにもかかわらず、あなたが、あなたの世界観だけで短所として理解すると

時として、人の長所までもつみ取ってしまう事になります。

だから、短所も、チョット角度を変えてみると、

それは、「とんでもない長所だった。」ということもあるのです。

ですから、まずトレーニングです。

身近な人を「ほめる」から初めてください。あなたのソバにいるのは誰ですか?

会ったときでは忘れてしまいます。今、考えてください。

お世話が必要な両親でも「父さんが、母さんが、いるから家がにぎやかだよ」

家で、いつもブスッとしている子でも「お前は、家では○○だけど、外では笑顔がいいね」

性格的に思い浮かばなければ「今日の服の色イイね〜・手がきれいだね〜」

でもいいのです。

と、チョット発想を変えるとイロイロ出てくるはずです。あとは「勇気」です、勇気を出して言うのです。

そして、これが定着すると、「双方向の学びが、役割を確立する」でも記した通り

言われた人が、今度はあなたを、ほめるようになるのです。

因果律というのはそうやって自然と動いているのです。

これは神様のおかげというのはなく、そういう自然法則になっているということです。

これはもう、一石二鳥ではない、一石百鳥くらいの効果を生み出し、運気が好転するのです。

 

私は数年かけて、東洋西洋の占術を体系化し、

長所ばかりを抽出する手法(天寿吉祥法)を体系化しました。

この鑑定法で、ある大学浪人生をみると、強い「神経質」という鑑定結果が出ました。

占術の細かい点を記すとキリがないのですが、強い短所は時として、

破壊を八開に通じさせる力

があるのです。

この方の場合、その因子がありましたので、その短所を「分析力・推理能力」という長所として伝えた訳です。

すると、彼はそれ以来、爆発的に学業に励むようになったのです。

繰り返しますが、短所と思えるような事でも、それは実は大いなる長所の萌芽の場合もある。

ということです。

いずれにしても、身近な人から「ほめる」という癖をつけることです。

そこから、大難を小難とし、小難をかき消す正常な気の流れと、豊かな愛情が育っていくのです。

 

天は、私心なく無上の愛で「人が和する」事を願っています。

そして一人一人に天命を託しています。

それを全うする生き方は、他を貴び、他を師とする。

それは「ほめる」から始まるのです。

 

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