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靴をそろえは、自身とのチャネリング

安部浩之作品No,070401

・朝起きる→即、テレビをつける

・移動中→MP3など携帯再生機で音楽を聴く、

・夜自宅へ→即、音楽を聴く、テレビを見る

よくある姿です。

しかし、こうして私達は文明の利器により、心を何かに載せる

という事を行います。

なぜでしょう、なぜ心はそのように動こうとするのでしょう?それは、

「心」は、何かに載せると楽になるからです。

「心」を外に向かわせると楽になるからです。

「心」を何かに従事させると楽になるのです。

ということは?

そうです、「心」は内に向かうと不安定になるのです。

理由は簡単です。心がカオス(混沌)に満ちているからです。

一度、全くの無音・真っ暗闇で、しかも何もせずにジッとしてみて下さい。

心はどうなります?

いろんな思いが起こっては消えをくり返し、錯綜してくるのです。

「心は内に向かうと「不安定」になる、だから心はその恐怖を良く知っていて外に動こうとするんでしょ

音楽やテレビに心を載せてるのよっ!何が悪いの?」

となりそうですが、

「心」は遠心と求心のバランスで調整されるようになっていますから、

外にのみ向かう心は、自省を忘れ、天地の動きともズレ、エネルギー低下し、

結局は破綻せざるをえないのです。

 

この「内への恐怖」は、かつて、様々なメディテーションの世界が経験してきたことです。

だから、ヨーガではマントラ(真言)を用い、内に向かう心の道筋をつくったのです。

だから、禅では公案(禅特有の質問)を用い、心の道筋をつくったのです。

だから、真言宗では阿字という当体を見つめ、心の道筋をつくったのです。

この道筋を通過して、絶対安心の世界におもむかせたのです。

 

しかし、このような修行体系は現実社会では、

なかなか成立させずらい面があります。

ところが、日常生活というものは、良くできていて、

内に入る、自身を見つめる、というポイントがあるのです。

それが自分の立脚している足もと、そのものだということです。

禅寺の玄関によく掲げられている言葉 「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」

とは足下(あしもと)を見つめ省みなさい

と示唆しているのです。

足下とは、大地であり、自身の心であり、境界です。

「靴を揃える」

その行為を形骸化させないでください。

忙しい毎日ですが、靴を揃えるのは、ほんの数秒です。

この瞬間・瞬間にリセットして、心を見つめるのです。

 

ある人は、深呼吸を科し、呼吸を整え、自身の心を見つめるかもしれません。

ある人は、この瞬間に平和を祈るかもしれません。

ある人は、家族の靴を揃えながら、家族の1人1人の健康を祈るかもしれません。

ある人は、社員の靴を揃えながら、安全を祈るかもしれません。

 

きまりがある訳ではありません。それぞれに工夫して、

自分で考えることです。そこに意味があります。

だから、

「靴をそろえは、自身とのチャネリング」

となるのです。

 

***継続する***

 

そして、継続してください。

命尽きるまで継続して下さい。

必ず、おろそかになる時期が何度か訪れますから・・・

何事もそうです。ひたむきな継続こそが実りをもたらすのです。

「靴そろえ」で、あなたの継続力が、ためされているのです。

あなたに悪行の過去・偽善・悪習があろうとも

これだけは、譲らず継続して下さい。

 

神仏は、その1点に、歓喜し、賛美し、喝采し、称えるのです。

これは、些細な日常行為を神業に変える秘技です。

 

すると

度々述べているように

結果として、横に伝播・縦に伝承という現象が起こるのです。

ぜひ、この大波の最初の1波をあなたが担って下さい。

よろしくお願いします。

 

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