回答 敷地内の仏像や祠(ほこら)の移動については 安易に移動させない、 これが基本です。 例えば、仏像ですが、神社参拝の項でも記しましたが、 仏像という、お偉いお方がそこにいらっしゃる と考えて下さい。 「住めば都」という言葉もありますが、 だれでも、住む場所には、「なじみ」が発生するものです。 その場所にはその場に相応しい 空間とエネルギーと志向性が、 長い時間をかけてバランスを取るべく存在しているのです。 それが環境です。
にもかかわらず ポンっと今日から、この場所に変えます! と場所を移動されたら 「おいおい、待てよ、」と、だれでも戸惑います。 ましてや、目上の仏像というお偉いお方ですから 人間の都合で勝手に移動すれば、失礼にあたり、 結果的に、その場が持っているバランスが不安定になります。 本来は「聖なるものを軸として、周りが動く」が基本 にもかかわらず、我欲のままに仏像を動かしてしまと、 次のような現象が現れることになります。
・霊線(道)が乱れ、土地に異常波が発生する ・礼を欠く失礼な行為をしたことになり ・住人が「こける」、骨を折るなどの足回りのトラブルが多くなる ・エネルギーバランスが崩れ、家族が病を受けやすくなる
ですから、基本はあくまでも安易に移動しない。 と考えて下さい。
しかし、このような事は承知していても、 それでも、仏像や祠(ほこら)などを動かさなければならない。 ということもあるでしょう。 そういう場合はまず、その時の「動機・心」を問うて下さい その時に「邪心」、一点の曇りでもあれば不可となります。 例えば ・この方がカッコいい ・力のある仏像だと言われたので目立つところに移動したい ・ちょっとした名物にならないか? などですが、全て人間の浅はかなご都合主義です。 神仏は私達の日常においては 遠きところより、そっと見つめている存在です。
家屋の騒がしくないところが理想です。
人間の浅はかなご都合主義で、長年定着していた場所を移動するには その動機・心に問題がないか、重々検証して、 そこに、一点の曇りでもあれば、移動は断念すべきです。 こういう検証をした上で、 それでも、この場で生活するためにはどうしても・・・ という場合もあるでしょう。 それが、 人間の単純なエゴ(地位や名声や見栄) でないならば、実生活を重視することも、 やむなし、 です。
STEP.1 まず、何事も家長が軸になって進めますが、大切なのは 最も身近な家族の了解を得る事 です。 「これこれ、こういう理由で仏像を動かそうと思う」 と家族の意見を求めつつも、了解・同意を得ます。 ・あの車は父さんのもの、・あのゲーム機は息子のもの・・・ などそれぞれ、個人の持ち物はありますが 仏像や祠は、ある1人のために存在してはいません。 個をこえて、より公に影響を与えているからです。 あなたが、子どもであれば、親の・・・ あなたが、奥様であれば、御主人の・・・ 了解を得て、そこから全体に報告・同意を得ることです。
STEP.2 こうして家族の同意が得られれば、次にすべきことは エライ人の所に訪問する場合と同じです アポと取ってから行きます。 アポと言っても物言わぬ仏像ですから 「動機・理由となる気持ち、移動日時、業者」(なるべく詳しく)など を紙(和紙に墨書き(墨をする)が理想)に書き出し、2つ折りにして 最低でも1ヶ月前に仏前なり神前にお供えし、線香を上げます。 巷では、よく 「精を抜き(御霊抜き)、移動後、改めて精を入れる(御霊入れ)」 とも言いますが、これはかなり高度な霊的能力が問われます。 近くの僧侶に依頼しても大概が形だけです。 それよりも、移動を決意した家長の誠意ある文章の方が 神仏に対して誠意が伝わります。
以上、神仏の移動に関して記しました。 「あ~、めんどくさい」 と思った方もおられるかもしれません。 しかし、 仏像や祠(ほこら)は、まるで何かのオブジェでも扱うように 簡単に考えてはいけません。 軽んじると、とんでもない事になります。 ゆえに、軽はずみな移動は厳禁です。 しかし、 上記した通り、難しい事ではありません。 実際におエラいお方だと思って対処することです。 ただ違うのは、うそ、いつわり、は通用しません。 神仏は全て、お見通しです。 そこに誠意を持って向き合い、対処されて下さい。 よろしくお願いします。
※上記の内容は、家屋内の神棚や仏壇の移動も同様に適応します。
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