人の幸せを祈る
 
その人の食べ方がすなわち生き方である  
 

安部浩之作品No,100121
                                                                         文・Phot,Kohsi

 

すでに、・台所掃除については、「台所そうじのコツ

    ・炊事については炊事に思いを込める

において ・台所と神棚の関係 ・台所そうじのポイント ・炊事の上での心掛け

などについてふれました。(本項とも関連しますので、改めてお読み下さい。)

こういった心持ちで、ようよう食卓にならんだ食事に対して、私達は「食べる」という行為を、

安易に考えてはいけません。心して食に向き合うべきです。

 

「いただきます」とは命をいただきます、ということ

では、食事をする場合は、どのような心持ちが求められるのでしょうか?

要(かなめ)となる心は「いただきます」の心です。

「頂き」とは「頂点」であり。すなわち生き物の頂点なる命を「いただきます」ということです。

野菜であれ、肉であれ、私達は多くの命あるもの犠牲の上にあるのです。

このことをズシリと心に刻んで「いただきます」の言葉を、心を込めて発して下さい。

そして、その命を頂きました、という事で「ごちそうさま」の言葉を、「感謝」の心持ちで

おごそかに結んで下さい。いずれも、心底、心を込める事です。

 

日本の食事作法が世界一

この「感謝」の気持ちを極めた時、それに相応しい形が生まれました。

それが、日本の食事作法です。日本の作法がおそらく世界でも最も高い品位です。

その作法を鑑み、ポイントを幾つか記します。

 ・服装を整える

  貴い命を頂く訳ですから、それは身なりとなって現れて当然です。朝起きて、パジャマのまま、

  映画にあるようにベットの中でなどは論外です。特に、襟元を正し、食の邪魔になるような

  装飾品などは外します。

 ・背筋はまっすぐに。

  中心性が開運の要でも記しましたが、何事も中心軸が大切です。食事においては、

   食する人の背筋が軸となります。ですから、この軸がブレないように、他国のように、

   体を食に持っていくのではなく食器を軸に寄せて、あくまでも軸をぶらさないのです。

   これは感謝する己の軸をブラさない。ということです。

 ・丁寧に食べる

   タクアンなど小鉢に盛られたものも、 食べるとき、左手に、ご飯茶碗を持ったまま

   右手でタクアンを取るのではなく、いったん茶碗は置いて、小鉢を持って食べるのです。

   これは手間がかかります。しかし、たいした手間ではありません。

   1品1品を噛みしめて食べようとすると必ずこういう所作になるのです。

 ・少しづつ口に入れ、音を立てずに良くかんで食べる。

   がばがば口に入れる人がいます。口に沢山入ると噛みづらくなります。

   「よく噛む」は、脳の活性化を促しますが、最も大きいのはバランス調整です。

   それは、身体面のみならずメンタル面でも影響します。

 ・腹七分

   大概の人が食べ過ぎです。食べ過ぎて臓器のフル稼働が続いています。

   消化液(消化酵素)が追いつかないと、毒性の排除も吸収も悪くなります。

   つまり、体が悲鳴を上げているのです。

   良く「腹八分」と言いますが、「七分」バランスの方が良いのです。

 

等々、素晴らしい内容です。そして、仮に、意識が込められなくても、

時として、上記によって「形から入る」という事も大切です。心と体が連鎖共鳴しているからです。

ですから、作法に則ると「感謝」がわき上がる。そういう風に出来ているのです。

 

禅に膳を学ぶ

次に、食の心持ちを説いたものとして「五観の偈」をここで紹介したいと思います。

「五観の偈」とは、禅宗において食事の前に唱えられる5つの短い偈文で、

僧侶の食事作法と言われています。多くの分野で引用され、

「五観文」・「食事五観文」・「食事訓」とも言われています。

もともとは、唐の南山大師道宣が著した『四分律行事鈔』にありますが、日本では道元の著作

『赴粥飯法』によって広く知られるようにりました。以下に記します。

 

 1 一計功多少量彼來處 

    一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

意訳

「功の多少を計り」とは、結果としてここに食べ物があるが、

その食べ物がここに至る前を感じ、感謝しなさい。ということです。

「彼の来処を量る」とは、その命を頂戴し、私達の命として置き換わっていく、つまり私達の命は

他の命の犠牲の上に生かされているのだから、これから先の歩みの貴さ、

生かされている事の貴さを重々理解しなさい。(主題→感謝)



 2 二忖己徳行全欠應供 

     二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。

意訳

今、目の前にある食事は多くの人の手を煩(わずら)わせ、供え物かのごとくに、ここにあるが

その食事を食べるに値する自分自身であるか、食べるとは、生きるということであり

生きるに値する一日であったか?自ら問うて口にしなさい。(主題→反省)



  3 三防心離過貪等為宗 

      三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

意訳

日常生活において、迷いの心や過ちを起こさないよう、この食事を頂き

「貪りの心,怒りの心,わがままな心」の3つを自制しなさい。 (主題→決意)


  4 四正事良藥為療形枯

      四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

意訳

こうして食事を頂くというとは、健康を維持するためにも、「良薬」を頂くということでもあります。

感謝して口にいたします。(主題→意識)


  5 五為成道業應受此食

       五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

意訳

成道(じょうどう)とは悟りのこと、日常生活においては、大いなる気づき、と言っても良いでしょう。

日々の努力を怠ることなく、目標に向かって進むためにも、この食事を頂きます。(主題→誓願)

如何でしょう、心の持ちようを五つの偈に要領よくまとめています。どうぞ参考にされてください。

 

食べ方は生き方

一度、多くの人の食べ方を観察してみて下さい。食べ方を見ると、不思議とその人の生き方が解る

のです。私が過去に観察した結果をザッと記すと、

 ・心のこもった仕事をする人は、音を立てずに食べています。

 ・自分の利益ばかり追っかけている人は、よくかみません。

 ・ギリギリになって慌(あわ)て、普段ルーズな人は、背筋が伸びていません。

 ・親が思いつきで子育てしていると、子供は箸の扱いが下手です。

 ・先祖に感謝していない人は、ご飯茶碗の持ち方が変です。

 ・努力していない人は、背筋がいつも動いています。

 等々

これは、どんな占術よりもあたります。 

当然です。食とは生きる事であり、食べ方が生き方に相似展開しているからです。

すなわち、食に向かう姿勢があなたの人生・あなたの生き様そのものなのです。

 

誰でも、毎日毎日、何度か食事をします。

この食事をパッパーと手軽に済ますのではなく。食事の時間を、

多くの命を頂き、生かされている貴い命

を自覚し直す、絶好のひととき、と心得て食を前にされて下さい。

よろしくお願いします。

 

 

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