人の幸せを祈る
 
「そうじ」とは縦軸である!
 


                   文,photoKohsi

 ・「掃除なんて、ヤだよ〜」

 ・「掃除を強制しないで欲しい」

 ・「掃除をしなくても誰にも迷惑をかけてね〜よ」

どこからか聞こえて来そうな声です。先日もテレビでゴミ屋敷が放映されていましたが、

住人曰く、

  「全部、必要なの、アンタどこの人? そもそもさ〜、私の土地だよ〜、

                        誰にも迷惑かけちゃないよ、けーってくれ」

取材者も絶句、周囲を取材しても「臭いんだよ〜困ったもんだ」でオシマイ。

イイ大人がこの始末です。こういう時にどっかでパシッと、

「生きるとは、掃除とは・・・」を語れなければダメです。

会社も学校も地域も「掃除運動」しながらも「掃除の何たるか」を知らないのです。下図をご覧下さい。

図の通りです。私たちは、この連鎖循環する地球にあってこそ、生命を維持することが出来ます。

例えば、水1つとっても

川に水が流れ→海にいたり→浄化され→蒸気として昇り→雨となって大地を潤し・・・・

この連鎖が、どこか1つでも切断されれば、地球の生態系は破綻し、人間は生活できません。

しかし、こういう環境でありながら、この循環を阻害するものがあります。

それが上図の通り、人の生活・人の屋敷です。

● 縦 軸

屋根は雨を遮断し、大地への浸透を阻害し、壁は空気の流れをとどめ・・・・

を造り出します。ここを見つめれば、

「地球さん、申し訳ないです。誠意を持ってキチンと管理しますから、どうぞこの地に住ませて下さい。」

という気持ちが生まれます。

そこが根っことなって、必然的に生まれてくる立ち居振る舞いが、誠意となって「掃除」という行為になる

のです。また、全ての空間は、

  1、手を加え、最も管理すべきところ → 家

  2,手を加え、管理した方が良いところ → 庭・周辺地域

  3,管理しなくてよい(してはならない)ところ → 特別な深山

の3つに分けられます。家は環境負荷が最も高いだけに、しっかり管理すべき必須の空間となります。

 

● 横 軸

環境運動も然りです。上図では横軸ですが、ここも連鎖循環する地球をバックに発想すると

「あ〜、地球さん、申し訳ない、水も机も文具も本も全て地球から生まれ、本来、地に返り循環すべき

ものを、こうして加工し、家屋に止まらせ生活が営まれます。

                       せめて環境負荷のないものを出すようにします。」

となります。

この2つは、縦軸・横軸の関係であり両輪でもありますから、

不思議と掃除をすると「環境負荷のないものを・・・・」という発想になり

逆に、環境の事を考えていると「掃除をしたくなる」のです。仮に、どちらかが欠けていれば、根っこを

理解していないニセモノだ、という事です。

 

結局、私たちは地球から生命を頂いたわけですから、

連鎖循環の地球をバックに発想できなければダメだという事です。

そこを心底落とし込むと、運が開けるとか、邪気がなくなるとかは、どうでもよい事になり、

感謝に打ち震えるものなのです。

 ・「掃除」を雑用にしてはいけません。

  ・「掃除」を「気持ちがイイから」程度の解釈をしてはいけません。

ましてや、開運のツールにしたり、ポジティブ思考・マインドコントロールの道具にしてもいけません。

それは「掃除」という神行の冒涜(ぼうとく)です。

掃除は、自然豊かな地球に住む人間の義務であり、誠意の表出した神通所作であり神行なのです。

天はこうして、時として、雑用とまで落としめ扱われてきた「掃除」という日常コードに

全ての秘儀を封印しているのです。このことをどうぞ日常の掃除を通して体感して下さい。

そして、「今日も、掃除という行為が出来る」ということの素晴らしさを自覚して下さい。

この心にこそ、天佑神助(てんゆうしんじょ)の力が働くのです。

すぐには体感し、自覚は出来ないかもしれません。それでも、どうぞ、上の図式を「掃除」の意義として

家族に、子どもに伝えて下さい。

そうしなければ、「掃除・片付け」は雑事になり、させられるものになり、心ない教師が「罰掃除」と掃除

を苦痛の対象として、幼い時から擦り込んでしまうのです。

宜しくお願いします。


 ※ 上の画像は阿蘇の風景、2010年撮影、雄大でのどかな景色でした。こういう景色に接すると、
   本当に、ゆるぎなくも優しい地球の姿を実感します。

 

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