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「魔法の○○」なんてありません
世間には、よく「浄霊・除霊」などという言葉があります。 いわゆる霊の浄化や障りのある霊を外すという行為です。 よくテレビなどでも、マントラをあげたり、手をかざしたり、気合いを入れたり・・・・・ そして、除霊が終わると 「一体、何があったんですか。あ〜スッキリしました。有り難うございました。」 と、そういう光景を目にします。 これは「霊に通じた人」が、一般に言う霊的能力で取り外したものですが、 果たしてそれは、その人にとって有益だったのでしょうか? 下図をご覧下さい。
美しい例えではありませんが、フンがあったとします。そのフンは、悪臭を放ち、数時間もすれば ハエがたかります。その光景に対して、手で追い払ったりすればハエは一時的に、 そのフンから逃げます。しかし、ハエがたかった当体であるフンは無くなっていませんから、 悪臭は存在し、再び、フンの周りにはハエがたかります。 これは、図の通り、フン=当人・悪臭=因果・ハエ=悪霊 という関係で、「浄霊・除霊」というものは、ただ表面的に悪霊を払うだけですから、 根本は何も変わらず、再び、その因果の法則により、悪霊がたかるのです。 仮に、完全にその悪霊(ハエ)を抹殺した。としても、その因果(臭い)は消えていませんから、 同類の悪霊(ハエ)がたかるようになるのです。 もし万一、「いいえ、その因果も消しました」という霊能者がいればそれはウソです。 なぜなら、悪臭なる因果はその当体(本人)から出たもので 本人の心の変革なくして消えるものではないからです。 本人の志(こころざし)が変わらない限り、その悪臭(因果)は、同調するものを呼び続けるのです。 つまり、その結果、以下の現象が生まれます。 ・1匹の悪霊(ハエ)を、外的な力で外す、を行うと、 結果的には 伝播力・回転力が発生し、複数の悪霊(ハエ)がたかる。 ・対象者に反省を促し、自己改革に向かわせるのではなく、エゴを助長させるので、 ますます対象者がカルマ(業)を積み重ねる。その対象者に出なくても、孫子に増幅して現出する。 などです。また、当然、霊能者の側からの功罪も生まれます。 ・良かれと思って行った除霊・浄霊が結果的に上記の顛末に終わるので悪因果を撒いたことになる。 ・一時的に対象者に慕われても、実相から見ると、対象者の自省・行動力を遅らせ、惑わした事になる。 ・現実(地上次元)の仕組みから逸脱した霊のコントロールにより、霊能のカルマが本人にも被験者にも付与される。
などです。つまり百害あって一利なしとはこの事です。 ですから良き霊能者ほど、霊能の片鱗でも出そうものならば、 不本意にも、教訓は消え、霊能の部分のみが増幅されて対象者が類を呼び、 伝播するすることを心得て、霊能を表には出さないのです。 ところが、ややもすると、霊能者は、己の霊能を出ししたくなるのです。 また、不思議と霊能を出さなければならない状況設定に向かい、 スピリチュアルを期待する人たちに囲まれ、小出ししてしまうのです。 被験者の過去や、オーラの色や前世・背後霊などを小出し、し始めると、 言うまでもなく、それは低次元の技ですから、低級霊に支配され 小出しのつもりが、大出しになるのです。 そして被験者の心の動揺(泣く、うちふるえる、など)を、 不思議と「快」として感じ取るようになるのです。 天狗や、任を終えた龍などが干渉すると問題はやっかいになります。 大学教授などの出鼻は簡単に、へし折るくらいの論を展開しますから 上記のような事は先刻承知していて
「こういう、あってはならないサプライズ(霊能)を利用しちゃえ。 やむなく見せ、そちらに意識を向かわせて・・・、 そのあとに本題となる教えでも・・・・」
という大義名分を編み出すようになるのです。 ところが、それは、あくまでも大義名分ですから、学びらしいことはしても、 やりっぱなしで継続が出来ません。 必然的に組織であれば解体しなければならなくなったり、霊能者は逃げ出さざるを得なくなるのです。 末期症状の特徴・傾向として、以下のような事態を生み出しますから注意が必要です。
・霊能力を金に換えようとする。 ・霊能力に吸引された人だけが残るので、 「学び」どころか「霊能力見せてよ」思考(低級霊活動)が増幅される。 ・日常生活の改革を離れ、自己実現に逆行する異次元体験を もって存在を確認するようになる。 ・低級霊の集まりが形成されるので、 内部抗争、つまり、譲り合いではなく、奪い合い・はじき合い、 が始まり、解体の方向に向かう。 ・自己の努力を棚に上げ、 「霊のせい、他人のせい・・・」 の発想を無意識に蔓延させてしまう。 ・口で拝金を否定し、意識で拝金傾向を生みだす。(本来は逆) ・金のトラブルが生じる。 ・主客が逆立ちする(主客顛倒)。 ・依存体質の集団を組織化しようとし始める。(離れられなくなる) ・霊能者をカリスマ的存在に祭り上げ出す。 ・裏で男女問題(不倫)が発生し始める。そういう意識が芽生える。 ・ 目的達成のために手段を選ばなくなる。 ・菩提心(譲り合い・助け合い)を離れ、「まず、己が経済的自立」という発想になる。 ・弱いところ「子供・弱い人」に負荷が生じはじめる。 ・嫉妬心が生まれる。
などです。 こうして、霊能者も、大儀から外れ、低級霊の傀儡(かいらい)となり、 随所・随所に、「気づき」どころか霊的カルマを残し、 新たな再編を繰り返していくようになるのです。
では、なぜ、このような需要供給の構図が生まれるのかというと、 それが人類のカルマとして存在し、遺伝情報にすり込まれているからです。 古き、過ちは2度と犯してはならないのです。
邪気邪霊は、感応しやすい霊能者をまず取り込み、 そこから多くを引きづり込み、傘下を増やそうとするのです。 「人類1人1人の自業自得の結果の世」でありながら、 人々が、たやすく霊力で解決していただこうとする。 霊力に一目置き・讃(たた)え、異次元体験を特殊化し、 そこに自己の決定的な存在を感じようとする。 その繰り返しを再び、今生の地球で再現しようとする向きが生じるのです。 だから、宗教団体に病気直し・予言・霊視がはびこり、 各種セッションが日常次元を離れ、 異次元へ向かおうとするのです。 悲しいかな、今、美辞麗句を並べながらも、 精神世界が一気にその方向に向かっているのです。 ですから、最近、出版界で、はやりの 「魔法の○○」ブーム も、そのことを象徴しています。 己(おの)が生活を省み、自堕落を反省し、 自己変革を強いることなく、人の幸せを願うでもなく 「このお方につながっていれば、 この言葉を繰り返していれば・・・・」 と「保身の恵み」にあやかろうとする。 まさに、「困った時の神頼み」で、そこに魔性が潜むのです。 繰り返しますが、それは、長き命の流れから見るとカルマを積むだけです。 しかも、スピリチュアルを利用するばかりに、その罪障が重くなるのです。
人は次元を超えた因果律をもって、この地上に命を頂いています。 因果律をこの地上で解放する為です。 では、どうやって解放する仕組みになっているかというと、 周りの環境・人と摺(す)り合わせしながら、 自身の「学び・気づき・行動」を通して、 ゆるやかに自然に同化、消滅していくべきなのです。 これが法則です。 ところが、次元を超える能力を持つ人が 良かれと「霊の操作」をしてしまうのです。 ・悪くて、「除霊」(悪霊を取り除く) ・良くて、「昇霊」(悪霊を昇華させる) 前者(悪くて)の場合、前記した通り、 除かれた悪霊は別の行き場を探すか、増幅して戻ってきます。 後者(良くて)の場合、別の悪霊を寄せるか、その昇霊が 万一、 因果律に肉薄していれば、対象者の因果が薄くなりますので、 この世の寿命を縮める。(予期しない死など) という現象を生んでしまうのです。 高級神界に通じた霊能者は「気づき」しか与えられない。それが鉄則です。
人類はここを脱却しなければなりません。 では、どうやって脱却するか? 本講座を愛読されている方は既にお気づきでしょうが、 地上の学びは次元を超えた霊能に拘泥しなくても 大自然なる環境をしっかりと「愛」をもって見つめ、そこに基軸をおく事で、 何の負荷(障り)もなく、 「気づき」 が生まれ、人格を磨き、と、これに勝る王道・開運法はないのです。
私達は、この地球次元世界に神聖なる生命を頂き 、目を耳を口を鼻を・・頂いて生かされています。 見える世界を軸にして、何度も何度も言葉を尽くし、行動を尽くし、 この次元での「気づき合い」を連鎖させていくのが正しいのです。 そうしなければ、天が肉体に魂を宿した意味がなくなってしまうのです。 本講座のタイトルでもある「環境免疫学」という名称の意図はそこにあります。 ですから、本講座で紹介しているサインやトレーニング法、 また動植物の生態などを、ヒントとして、 是非、日常生活を省み、 ・ある時は、大胆に猛省し ・ある時は、大胆に自信を持ち ・ある時は、大胆に感動し・・・・ 己(おの)が生活を1つづつ正してください。 よろしくお願いします。 (SAS総目次 へ)
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