靴には思念が残留しやすい | |
既に他項でも触れた通り、一元世界から生じた、この物理空間では全て、 「反転する対極構造」で成立しています。 マクロはミクロであり、人体も同様です。その両端は頭と足です。 通常は、頭部で思念し、足部で動きます。「静」と「動」の関係ですが、 その反転が両極として発生しますから、 足部は思念の対極として思念が滞留しやすいのです。 そして、全ての滞留、気の停滞は不調和を発生しますから、循環させる必要があります。 一番早いのは、裸足で大地を歩く事です。足が大地に接地することでアースになります。 「うつ・不登校・認知症」など心理的疾患が、 ・裸足で芝の上を歩いたり ・砂浜を裸足で歩いたり これで快癒する理由もそこにあります。 私は、子供達のわがままが表に出、ぶつかり合いが多くなると、裸足で砂浜や芝の上で遊ばせます。 すると、その後には、不思議と トラブルの原因などすっ飛んで、言葉が優しくなり、助け合いが始まったりします。 それは、どんな教理教訓よりも効果があります。 ところが、この流れよう、流れようとする残留思念を遮断し、停滞させるものがあります。 それが「靴」であり、 私達が身につけるものの中でも「靴」が最も思念を蓄積しやすいのです。 一般に霊能者と言われるような人たちが、 下駄箱や靴、玄関から指摘が始まるのは、思念のたまり場として、 どこよりも、そこが読み込みやすいからです。 悪質な霊能者になると、「あの黒い靴ですよ〜」と始まり、サプライズさせ→リピーターにさせ→ 傘下に入れ、最後には、金銭を取ろうとします。言われても驚く必要はありません。 読み取りやすいところを指摘されただけです。 ただ、難しい事は別にして、ここでは、 「靴には思念が残留しやすい」 ということだけ理解して下さい。結局、 「靴をそろえるとは、自分自身の思念を清冽させる」 にも通じているのです。 さあ、今日も明日も、感謝で靴を揃えましょう。
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