人の幸せを祈る
 
岐路に立たされたら、困難な道を選べ !

 

安部浩之作品no,101217
                        文・Graphic,Kohsi

 

人生を歩む中で大きな岐路に立たされる事があります。

では「人生とは?」それはカルマの産物であり、

「カルマ」を昇華させるために使命をもって頂いた命です。

ですから、天のはからいにより、人生の中では、

必ず数度は大きな岐路に立たされるようになるのです。

また、この道で良いのか?と、そういう精神モードになる時があります。

その時に、人格が問われます。

しかし、往々にして人は様々なパターンを損得計算し、推し量(はか)り

この時はこうなる、あの時は・・・と

「安(やす)き方向を良し」

として、その道を選びたがります。

だから迷うのです。

また、相談された人も親も、未来の事は何も解らないのに、そういう道を勧めようとします。

間違いです。

単純に、肉体的にも精神的にも、キツイ道を選ぶのです。

永遠なる魂を大きくジャンプアップさせる道は、単純に「キツイ方向」にこそあるからです。

決して難なき、安き道に逃げ込もうとしてはいけません。

そこには安息ともいえる安定した日々があると思うかもしれません。

それは麻薬のようなものです。

安定した日々の中で、吹けば飛ぶような、ささやかな個レベルの充足を繰り返して

ごまかしの人生を送るしかなくなります。

この世で安定・安息に酔いしれてはいけません。それは死んでからでよいのです。

365日、崖っぷちで、時折、極上の安息を垣間見る。

それでイイのです。

そういう道の選択が、異質が混在する地球創生の意図に合致するのです。

 

補足

注意すべきは、この「刻苦勉励」が要求される道を阻む意識が登場することです。

地球地下に封印されたシャンバラ系の思念体は

「努力をキライ、ワクワク」を推奨します。

特に、チャネラーと呼ばれる人たちが、その意識を地球に持ち込もうとしています。

全く真逆です、

我々は努力するために、自分磨きのために魂を頂いているのです

その努力を軽んじるような事があってはいけません。

「頑張らなくていいんだよ、努力よりも、ワクワクする道を選択しましょうね」

誰もがこの言葉に、ホロリとなります。

愚か者です。私は、この発想で多くの破壊された家庭を見てきました。

完成度の高い星々ではそれでよしですが、この今の地球空間では

それはアダとなります。

高貴な世界から来たチャネラーのメーッセージだとばかりに

無業件に信じたくなる潜在意識があります。要注意です。

そこに翻弄されないように、

現実のルールを主軸に、しっかり見定め、サニハして下さい。

 

それから、職業選択において、してはいけない仕事などあるのか? 
といような質問を受ける事が度々あります。基本的には、してはいけない仕事などはありません。職業に貴賤なし、とは事実です。むしろ仕事の種類よりも、どういう気持ちでしたか?が大切なのです。ただ。避けた方が良い、避けるべき職種というものはあります。社会的妥当性のないもの公序良俗に反するもは仕事にすべきではありません。不法な薬物、売春、脅迫、詐欺、暴力団関係などです。
また、こちらの地上世界では成立し、法に触れなくても、天法に反する職種というのはあります。これは生きているうちは問題ありませんが、これは2つの意味で苦労することになります。2つとは次です。@死んでから相応の場所に誘われてしまう A子孫に負荷が残る。 です。具体的には、風俗業を筆頭に、食肉業や保険業などです。これは地上ルールとして憂慮される場合もありますが、度を越すと、とんでもない苦労を後々に背負う事になります。愛なき性を売り物にすることは、神への反逆であり、天法に反するということは誰でも解ると思いますが、解りにくいのは食肉業です。出口王仁三郎は、確か『霊界物語』だったと思いますが
「四足(よつあし)の死体食うべからず」
と記していますが、魚(足なし)、鳥(二本足)は軽度ですが、牛・豚など四足は、本来、草食動物である人間の食として食するものではありません。
アバターという映画を見たでしょうか、宮崎アニメにヒントを得たという脚本の影響なのか良くわかりませんが良く出来た映画です。こういうシーンがありました。鹿のような動物を、食のために、殺して、苦しまないようにトドメをさす。そして、その場で、奪った生命を詫びると同時に、この血肉が我々の中で無駄にならないように祈るのです。生存のためにやむなく感謝して頂く、この姿勢が大切であり、この姿勢は憂慮されるのです。しかし、そこで「儲けを出し」職業とするとなると天法に見事に反するのです。それは天法を持ち出すまでもなく、地球の生態系からいっても人体構造からいっても、負荷をかける結果となるのです。屠殺(とさつ)という残虐なところは特定の人に任せて、牛を育て、牛を食い、「うまい、うまい」と享楽し、時に、この味はマズイと残滓にする。天はこの姿を許しません。四足の死体で金儲けをしない、料理として出されてしまった四足の死体は、その命が無駄にならないように、詫びる気持ちでいただく。それしかありません。

 

 ※ 本項関連頁 Message From SHINKAI

 

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