家族の中に極上の秘術がある
文/phot,Kohsi(画像は三浦梅園旧
宅、2008.6.5)
これは、小学校6年生の娘を持つ、ある父親の実話です。
いよいよ明日は、娘の一泊二日、小学校の修学旅行。
小学校3年生の弟・妹は姉が1晩居ない、ということを漠然と理解し・・・
父親も母親も、もう何十年も前の小学生の頃の修学旅行を回想し、
娘にも楽しい旅行の一時であれ・・・、と密かに願った。
そして、娘の居ない夜は、1人居ないだけでも、不思議と寂しさの漂うものだと皆が実感し・・・
そんな、一夜を越して、翌日の夕刻、娘が帰ってきた。
いよいよ、家族で夕食の時間が迫ってきた。
父親は、娘の土産話を楽しみにした。それだけではない。
その土産話が弟や妹にも
「6年生になることを夢み、学校生活の楽しみ」
を与えるのではないかと思うと
この夕食はとても大切な一時になるに違いない、そう確信した。
確信すると、どんな質問をしてあげようか?とそんな事まで考えた。
いよいよ家族揃っての食事だ、
食事の場で、案の定、娘は旅先の夕食メニューを意気揚々と語り始めた。
父親は「よしよし・・・、その調子」と故しれず安堵した。
一通り、話しが終わると父親は、いよいよ「俺の番だ」と言葉を発した。
「で、何時頃に寝たのか?」
友達と寝るのは楽しくて、いつまでも寝られず
・・・枕投げや ・ かくれて御菓子を食べた ・ 先生に叱られた・・・・
など期待した。ところが
「知らないっ !」
の一言、拍子抜けした
「知らない事は無いだろう、だいたいでイイ、何時頃寝たんだ?」
少々憤慨して言った。
「知らないっ!・・・」
ついに、父親が切れてしまった。
・言葉は何のためにあるのか・・・、に始まり
・親の恩とは何か・・・
・家族とは何か・・・
延々と続いた、そして、父親は説教後の暗いムードに耐えられず、
食事もそこそこに場を離れたのである。
些細な出来事ではあろうが、それから数日この事が、父親の頭を占拠した。
父親はある晩1人になり、フッとこんな事を考えた。
「果たして、オレの修学旅行の時はどうだったんだろう?」
と、幼少の頃の修学旅行の写真を探し出し、見つめた。
確かに、自分の父親に
「旅行に行かせて頂いてありがとう」
などと言った記憶もなければ
もちろん、そんな感情の記憶も全くない。
そう思うと、娘ばかりを責められない自身を痛感し、焦燥が心を包んだ。
そして、アルバムを見ながら、心の中で、何十年かぶりに、ようよう、今は亡き父親に
「皆と一緒に、修学旅行に行かせてもらった。父さん、ありがとう」
とつぶやき、もしかして、その時、我が父親も同じような気持ちだったのではないか?
と感じると、再び、胸が痛むのであった。こうして思いの錯綜する時間が流れた。
すると、それから、1時間もたたないうちに、娘が現れた。
最初はモジモジしていたが、ようやく口をきった、
「お父さん、この間はゴメン。寝たのは11時頃、興奮して寝れなかったけど、楽しかったよ。」
父親は、この言葉に
故しれず、こみ上げるものを抑えることが出来ず、目がうるんだ。
と同時に、父親は、氷が氷塊するように、1つの謎が解けた思いがした。
「そうか、繰り返していたんだ。
百万遍の叱咤・説教の言葉よりも、我が身を正して、時間を超えて、
愛情には愛情でキチンと返していけば、それは次代の「気づき」に通じる。」
そう確信した。
以来、父親は家庭の中で起こる様々な出来事に対して
「我が身に、問い返す」
という事を半ば強制的に習慣化した。
すると出来事はもちろん、趣味や趣向まで
次々に事態がリンクしていることに気づいた。
天は、親への「気づき」を、これほどまでにふんだんに、身近なところで与えてくれている。
そう思うと、いよいよ、父親は「親として・・・」を越えて、
人としての学びを家族から頂き、全ての学びが家族にあることを確信したのである。 (以上)
このように、私達は、縦の因果(先祖から来る因果)に応じて、
横の因果(現 知人・家族など横の因果)を形成しています。
やり残したことが次代にスライドして展開するようになっているのです。
ですから、「かくあれ」・「かくあるべき」という発想の裏に、
その発想をさせる因果が根付いている。
ということであり、そこに自身が気づかなければならないと言うことです。
そして、ここから、己自身の「省察と感謝」という行為が生まれます。
この行為を実践せずに、
・声高に叫ぶだけでは・・・、
・がむしゃらに知識あさるだけでは・・・、
事態は何も変わらず、再び世代を超えて展開することになるのです。
こんなはずじゃなかった、と嘆き・悲しみ・不憫(ふびん)に思う事は多々あるでしょう。
その時こそ、覚(さ)めて
「はたして何ゆえに」
と、自身の過去(因果)を問うてみて下さい。
その「気づき」からくる実践が、どんなテクニックにも勝る開運の秘術なのです。
つまり、
「家族の中に、あなただけの極上の秘術の数々を見いだせる。」
ということです。
何故に「極上」なのでしょうか、言うまでもありません。
そこに「優しさや愛」が寄り添うようになっているからです。
知識やテクニックには寄り添わないのです。
ぜひ、今あなたの家族で起こっているトラブルも難題も、
あらためて、そういう目で見つめ直してみてください。
皆さんにも、多くの気づきがありますように、
そして、お話できる「気づき」あれば、ぜひ、下記(感想メール)よりお寄せ下さい。
ここで紹介いたします。1人でも多くの人に、気づきの連鎖が起こるのであれば、
それはとても意義深いことに違いありません。
早速、以下のメールを頂きました。
(大分 H さん(女性))
我が身に置き換える事はとても大事な事だと私も思います。
看護をするなかで、患者さんが
・我が父ならば・・・、
・我が母ならば・・・、
・我が子ならば・・・、
との見方をすると、見えて来るもの、更に、接し方も変わります。私は患者さんが愛おしくなります。
そして、私の場合はスタッフがそのような見方をしてくれるように助言する立場ゆえに、
安部さんのサイトで、日々自分が気づくよう、情報が提供出来るよう努力していますので、アップされるのが楽しみです。
新しい職場で
働き始めて2ヶ月が過ぎました。少しずつ変わって来てる気がします。決して前が悪かった訳ではなく新しいものの見方となって行っている気がします。ありがとうございます。
追記
私は昔は「人の子」であった時代があり、今は「人の親」をしています。そして両親を亡くしたからわかったことです。孝行したいときにいない。患者さんで疑似体験をさせてもらい、全て私にとって必要で、学びの場だと言うことに気づかせてもらっています。これからもよろしくです。
(以下、安部浩之)
とても素晴らし事だと思います。
このサイトは、環境免疫学研究会との関連もあり、多くの看護に係わる方、また福祉関係の方も読まれていますが、ぜひ、Hさんのような視点を大切にされて下さい。
この地球では「家族の由来」でも記しましたが、家族には
無私の愛が伝わりやすいようになっています。
家族での体得を社会展開するには、Hさんのように、
「患者さんが、もし父親ならば、もし・・・」
と家族におきかえるならば、愛情を注ぎやすくなります。愛情を注ぐことが出来れば、その愛情は、笑顔やちょっとした声かけにもなります。注射をするときも、チョッと眉をひそませて、本当に痛いかの表情で
「チクッとしますよ〜、大丈夫〜、あともう少し〜」
という心ある言葉も生まれます。患者さんはこの表情・気持ちを機敏に感じ取っているのです。
こいういった看護は、結果として、回復を心から喜び、不調を共に悲しみ、また、死を心から悼むことになるでしょう。
ここにこそ、ナースの醍醐味を見いださなければ、看護や介護は機械装置の代行に他ならないでしょう。そこには使命感や喜びは生まれません。
私は、昔、看護科の学生に法規を指導していた事があり、
その卒業生(看護師)から、現場の状況として、こんな事を聞いた事があります。
「婦長さんから、看護に差があってはならないので、
患者には、極力、気持ちを注がないように、余分な話しはしないように、と指導されています。」
と言うことでした。間違いです。人の世で、公平とは「愛情」という基盤の上にこそ成り立つのです。
私は看護師指導の立場にあるHさんの下にいる看護師さんは、そこで、ナースという枠を越えて、とても豊かな人間性を学んでいるに違いないと思うのです。
だから、私はあえて言うのです。その患者さんにとって、その愛情を持った看護師さんは、どんな宗教団体の教祖よりも救世主に相違ない、と。
ついにナースは、我が喜びのためにも、患者の回復を心底願います。別れは、悲しいけれど、元気な退院を願い始めます。この回復の念波が、ナースと患者の2点で
成り立つと、相乗作用により、患者さんは希望や勇気という生素を強くし、さらに、「回復・元氣」という3点目を目指してスパイラル回転し始めるのです。具体的には、リンパ反応(毒性排出・相転位)が起こり、免疫力が高まるのです。人はこれを奇跡といいますが、自然の理でもあるのです。
かつて看護師は、3K(きつい・汚い・危険)・新3K(きつい・厳しい・帰れない)などと言われていました。確かに看護師が不足する状況の中で1人の負担も大きくなっているでしょう。
しかし、少し発想を変えて、家族の疑似体験が出来る絶好の空間だと思った瞬間、そこは天の設置した、パラダイスに違いないのです。
Hさん、これからも是非、
「もし父親ならば・・・もし○○ならば・・・」
の看護指導を自信を持って進められて下さい。
現在、9割の人が病院で死ぬ、と言います。いつか、私も、そういう看護師さんのいる病院でこそ、お世話になりたいな〜、と思います。
(鹿児島 Sさん(男性))より
UPを楽しみにしています。今回は、なるほどね〜と、何度も読み返しました。
居酒屋カウンターで、調理 兼
接客をしています。古い旧式のカウンターだけの居酒屋で、お客さんは、ほとんどお年寄りです。そこで今日はこのお客さん達は、「皆、おやじ」と思うと、なぜか話しを親身になって聞けるんですね〜、そしてアッというまに閉店時間!
という感じでした。有り難うございました。
(以下、安部浩之)
私にも似たような経験があります。
私のところに、亡くなった父親の友人(80歳)が度々尋ねてきてくれます。
来られる時は、必ず「この英語を訳してくれないか」という依頼です。
知識のない私は、頼まれると辞書を引きつつ、大変な訳です。
しかし、ある時、この方と父親がイメージとしてダブったのです。
それから、父親のような・・・・と思うようになり、何かとても
「お役に立ちたい」
と思うようになり、頼って来てくれることを、とても嬉しく思うようになりました。
本来、人は皆、血のつながった兄弟・親子、「家族」のようなものですから、それをイメージしやすいように身近な人になぞらえる。
というのは、本当に意義深く、意識を一変させます。そう思うと家族を設置してくれた天に感謝せざるを得ないし、これこそ秘法だと思います。
(茨城 Yさん(教師))
高校教師歴16年です。このページを見て、
「生徒を子供と思えるか?」私には疑問符でした。むしろ「思いたくない、それはそれ、これはこれ」という気持ちが強くありました。しかし、昨晩「ごくせん」というテレビドラマを見ていて、仲間由紀恵の、「卒業間近だからこそ伝えなければならない。」という台詞のあたりに少々、心が動きました。
「我が子と思えばこそ・・・・」
ではないか?と、明日から頑張ってみようと思います。良きヒントというか導きを頂いた気がしています。有り難うございました。また報告します。
(以下、安部浩之)
ぜひ、挑戦してみて下さい。私も教員の頃を思い起こすと、そのお気持ち、私なりにでしょうが、良く解る気がします。高校生というと、すでに性格や考え方や習慣など、いろんな意味で出来上がっている時だけに、簡単に向きが変わる事はないかもしれません。しかし、少なくとも教師の「志し」が変わったことを周りは、意外にも敏感に察知するものです。たとえ、生徒の行動に変化がなくても、その察知だけでも、とても大きな意味があります。ぜひ、ご報告をお待ちしています。
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