人の幸せを祈る
 
「人の幸せ」を祈る
 

安部浩之作品No,080819
                                         文・Phot,Kohsi

 

すでに「魔法の○○」なんてありません(左クリック)にて、邪気邪霊に憑かれたといって、

霊に拘泥することなく、天地自然のあたりまえの姿を見て、日常生活を1つ1つ正すことの大切さ

に触れました。

また、日常生活、開運三徳目(左クリック)では生活面で基本となる3つの徳目を

「挨拶・掃除・靴そろえ」として提唱しました。これらとも遠因的に関連しますが、ここでは、

「邪気をも昇華する3つの心得」を紹介します。

下図をご覧下さい。

 

では、それぞれについて説明します。

1,「学び」については、

既に各項で触れた通りですので、ここでの説明は省きますが、まとめの意味も込めて、簡単に記せば、

 ・人類と他の命あるものとの決定的な違いは「創造性」であり、その創造性を高めるためにも

  学びは必須となる。よって、その素材となるものは、人工的なものではなく、完成形に近い「自然」の

  姿からの学びが良い。そのために地球には、色も形も、また動植物も他品種が混在している。

 ・人類はその実相が完全円満なるものでありながらも、バランスを崩した状態にあり、

  その生命調律をするためにも学びが必須となる。

具体的には、

 ・ある人は、ガーデニング・植栽かもしれません。

 ・ある人は、生物学・天文学の学びかもしれません。

 ・ある人は、語学学習かもしれません。

 ・ある人は、資格取得かもしれません。

個々の状況に応じて、学びを深めて下さい。

 

2,「体を鍛える」については、

この現実界は霊肉セットで調整されて、事が就成就するようにセッティングされている。

よって、体の弱い人も強い人も相応に体を鍛える事でバランス力を産み出す。

体温を上げ→汗をかき→水を飲み・・・と血流・リンパの巡りを良くすることで免疫性も高まり、

邪気の昇華につながるのです。

特に、この「体を鍛える」は物質的巡りであり、健康・金銭の巡りにも通じています。

具体的には、

 ・ある人は、ジョギング、かもしれません。

 ・ある人は、武道、かもしれません。

 ・ある人は、早寝早起き、かもしれません。

 ・ある人は、禁煙、かもしれません。

個々のレベルに応じて、鍛えて下さい。あなたの体を害しているものを正面から見つめて下さい。

 

3,「人の幸せを祈る」については、

「学び」・「肉」に対して、この「霊」の部分は最も大切な部分です。「心」は、ややもすると物質(肉)に

支配され、自己保存・自分さえ良ければの方向に向かい「愛念」を薄くしてしまうのです。

「心」が「愛念」を薄くすると、本来、愛で成り立っている細胞間がひずみを産み出し、ガン細胞となり、

また、学びの根拠が見えなくなり、人格を磨かなくなるのです。

かといって、巷にあふれるイメージトレーニングなどは、一見、心を貴んでいるようですが、

「脳力を高める」「意欲を高める」「運気を高める」とうたいながらも、

己の出世・金銭欲などに基づいている場合がほとんどで、

「愛」のない自己保存のマインドコントロールとなっているのです。

他項イメージトレーニングというエゴトレーニング(左クリック)を改めてご覧下さい。

つまり、心の置きどころは、人の核でもありながら「愛念」を失っているということです。

そこに邪気が籠もるのです。

では、人はどのように「心」をリセットし、正常な方向に向かわせれば良いのでしょうか?

それが、ここでいう「人の幸せを祈る」という行為です。

例え、他2つが揃ってもこの「人の幸せを祈る」という1点が欠けると、全てが振り出しに戻ります。

極端には、他2つが欠けても、この1点が整えば、天命の全うと天の祝福があります。

また、現代社会でもっとも欠けている面であり、これからの地球の存亡はこの1点にかかっている

と言っても過言ではありません。

この「人の幸せを祈る」に勝るものはありません。

これまでの開運術やマインドコントロールが「己の幸せ」に向かっていたのに対して、「他人の幸せ」

と向きが全く逆だという事です。

この行為は、「愛念そのもの」であり、寸分も邪気・邪霊が関与できないのです。

関与できないどころか、触発されて昇華せざるをえなくなるのです。

こういう行為を人に与えてくれた天には感謝するばかりです。

まずは、身近で、祈りの通じやすい家族からで構いません。ぜひ、

自分の出世でもない、自分の金もうけでもない、他人の幸せを祈って下さい。

祈りの定型があるわけではありません。

私的な事ですが、私は、人に対した時、その人の「笑顔」を念じるを入口として祈るようにしています。

そうすると愛念を込めやすいからです。

そうすると作品には愛念が籠もり、カウンセリングや施術にも格段の差が出ます。

天地宇宙は愛念によって成り立っていますから、その法則とも合致する訳です。

それぞれが祈りやすいように、工夫して下さい。

 ・病院では、患者さんの幸せを祈る事がかもしれません。

 ・学校では、友達の幸せを祈る事かもしれません。

 ・接客業では、お客さんの後ろ姿に、その人の幸せを念じる事かもしれません。

ぜひ、今日からでも始めて下さい。よろしくお願いします。

(関連項、「祈り」の極意も、改めてお読み下さい。)

 


感想メールを頂きました。

東京都 Y 様より

・・中略・・・有名な「世界人類が平和でありますように」という言葉と通じるような・・・
このあたりはどう考えていますか?

回答

本講座は、あくまでも自然環境を基軸として・・・としていますので、特定の宗教についての言及は避けたいと思いますが、今回UPの内容と関連しますので少しく説明します。
この「世界人類が平和でありますように」という文言は、五井昌久氏の提唱によるものです。氏は白光真宏会という組織でこの世界平和の祈りを推進し、現在は、逝去され、五井氏の養女の方が後継者として継いでいます。会の詳細は公式サイトで確認頂いた方が間違いないかと思います。
ココまた、五井氏亡き後、その精神を継承したとする別の組織、「唯一会」もあるココ
ここでは本稿「人の幸せを祈る」に関連して、この「世界人類が平和でありますように」の文言の発祥経緯を説明しておきます。五井氏はかつて「生長の家」の谷口氏を支持し、1信者でした。教団内で
「人は皆、神の子」
であると教えられましたが、
「では、なぜ、この世に悪や悪心があるのか?」
という疑問が求道の始まりでもあり、脱会に通じました。求道の末、
この問題を氏は、カルマの展開が即ち我々の生活となっており、悪心もカルマの現れている姿、とすれば、現れて「消えていく」という一過程に過ぎないということで「消えていく」という想念の大切さを説くに至りました。
このような過程の中で、
神の「世界が平和であれ」
という願いと一致すべく、
人としては「世界人類が平和でありますように」
という祈りの言葉で神人合一が可能であり、すなわち、その想念が平和へ導く、と考えた訳です。
簡単な15文字に、天の願いと人の行為を見事に通じさせた平和運動であると考えます。
一方、ここで提唱している「人の幸せを祈る」というのは祈りの言葉ではなく、「人のために祈りましょう」という行為の文言です。私はお題目のように、象徴的に繰り返すだけではなく、より心象の深奥からズシリと心を込められるには?を大切にしたいと考えています。
その時、身近な人の幸せを祈るからで良いのだ、その心象が確立されれば必然的に、想念波は広範な祈りに展開していくのだ。自分本位に満ちあふれ、権利を主張し義務を忘れた現代社会の中で、
「母さんの病気が治り笑顔になりますように」
「我が子に笑顔がもどりますように」
と、まず心の矛先(ほこさき)を自分から他人へ向き変える。
これは、小さいようで、とんでもなく大きな事だと思います。
また、例えそれは、まだまだ範囲が小さくても、身近な人から始めただけに、具体的でしかも本物の他を想いやる気持ちが育つ。それは貴いことに違いない、と考えています。
そのためには、まず「行為の推進」があって、祈り事の文言は個々の環境・状況に合わせ見いだす。
そこが要であり、その時にこそ、心を込めやすくなる。と考えています。
私は五井昌久氏の「世界平和の祈り」を否定する者ではありません。むしろ、群雄割拠する精神世界の中でも、確実な平和運動であると判断します。山崎様の方でもし、信仰をされているのであれば、発想を併用して取り込んで頂ければと思います。
(五井氏の記載について間違いなどありましたらご指摘下さい。)
 

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