人の幸せを祈る
 
震災を受け、己(おの)が襟(えり)を正せ!
 


写真は、全校生徒の7割が死亡・行方不明となった宮城県 石巻市立大川小学校。
ガレキの中から集められた児童のランドセル・学習道具(ソース元;時事通信より)

 

震災後、その被害が次々と報道されています。先日、テレビにて被災者のある言葉

が耳にとまりました。

・家族を亡くし30代かと思われる女性曰く、

       「頂いた命だから、亡くなった家族の分も生きなければ・・・」

・おばあちゃん曰く

       「若い人が亡くなったのに私が生き残って申し訳ない・・・」

・津波に襲われたおばあちゃんは、孫が

「タスケテー」

と言って水に沈んでいく姿が目に焼きついて離れないと涙ながらに語っていました。

また、園児33人を乗せたバスが津波に襲われ、瞬く間に天井まで水が押し寄せた時、職員5人が

水の中から園児を引き出し、次々とバスの屋根に乗せました。多数のおぼれている園児に女性職員は

「つかんであげられなかった手もあった。悔しくて悲しくて」

と言葉を詰まらせた。といいます。(詳しくは下記、読売新聞記事)

こうして東北の被災地では誰もが、命に肉薄しました。

普段は当たり前と思っていた事が、身内の犠牲を前にズシリと命の重さを実感するのです。

被災地以外も、「せめて私に出来ることは・・・」と多くの人がボランティア活動や節電や義援金と助け

合いの方向に向かいました。素晴らしい事です。

同時に、私たちは、この災害は1つの「警鐘」でもあることに気づかなければなりません。

命の犠牲が起きて始めて助け合いが稼働する、では申し訳が立たないのです。

日々の生活の中で、どれだけ助け合いの心が成り立っているのか?

ここが問われているのです。ここへの切実な警鐘です。

義援金をして、物資を送って、人助けをしたと感傷に甘んじ、時がたって薄れていく・・・ではいけません。

貴賤にかかわりなく家族が寄り添っている。それだけで、どんなに素晴らしい事かを実感し、

そして、そこに、どれだけ普段から「助け合い」が実現できているかです。

これが被災地からのメッセージであり、犠牲になった方々への本当のご供養です。

多くの犠牲になった貴い命は、この気づきによって報われていくのです。これが天徳回向です。(※

天徳回向についてはココ

ですから、義援金やボランティアも必要ですが、要は、残る者が身近な家族への感謝と協力に心を注ぐ

ことが出来るかです。

今回の震災を機として、我が心の根っこに問いかけて下さい。

 ・ 自分のすべきことがしっかり出来ているか。

 ・ まず、身近な家族から助け合いが実現できているか。

 ・ 家族に挨拶が出来ているか。

 ・ 家族の役に立っているか。

 ・ 住まいに感謝して管理(そうじ)をしっかりとしているか。

 ・ キチンと靴を揃えているか?

残った者が襟(えり)を正して、亡くなった人の分まで、助け合い、いたわり合い、真っ直ぐに生きていけ!

という事です。

今、「1日も早い復興を願っています・・・」

という文言のオンパレードです。

 ・貴い命の犠牲をもって引き裂かれた家族を、他人事のように言ってはいけません。

 ・一地域の不幸な出来事に片付けてはいけません。

 ・補助をして町並みが再現できれば解決だと考えてはいけません。

繰り返しますが、この悲しみを礎(いしずえ)として、1日1日を噛みしめながら歩み、

日々の己(おの)が生活を足下(あしもと)から正せ!

という警鐘です。

どうぞ、そこに心を注いで下さい。宜しくお願いします。

 

BBC NEWSが今回の津波を伝えた映像

 

 

● 園児の乗ったバスに津波 (2011年3月23日 読売新聞 より)




園児を乗せたまま、津波に流された送迎バス(21日午前11時5分、山元町のふじ幼稚園で)  東日本巨大地震による11日の大津波は、山元町と石巻市で3台の幼稚園バスをのみ込み、計12人の幼い命も奪った。ランドセルを手に小学校に行くのを心待ちにしていた女児もおり、目の前でおぼれる園児を助けられなかった職員は「手をつかめなかった……」と悲嘆する。22日、山元町の幼稚園バスで行方不明だった3人のうち2人の園児が遺体で新たに見つかり、亡くなった園児は7人となった。石巻市では津波後に起きた火災で園児を乗せたマイクロバスは焼けこげ、一面がれきの焼け野原の中に無残な姿をとどめる。(井上亜希子、雛谷優、古野誠)

 山元町の「ふじ幼稚園」で地震直後、職員が園内にいた3〜6歳の園児51人を送迎用バス2台にそれぞれ33人と18人に分けて乗せ、職員も数人ずつ乗って避難を始めた。その直後、津波が襲ってきた。

 鈴木信子園長(52)によると、園児33人を乗せたバスは津波で園のブロック塀に衝突、瞬く間に天井まで水が押し寄せた。職員5人が水の中から園児を引き出し、次々とバスの屋根に乗せた。おぼれている園児が多数おり、職員は何度も必死に手を差し伸べたが、園児が次々と犠牲になった。

 女性職員は「つかんであげられなかった手もあった。悔しくて悲しくて」と言葉を詰まらせた。

 卒園式を間近に控えていた女児(6)は、ランドセルを買ってもらい、小学校入学を楽しみにしていた。親族の男性は「覚えのいい賢い子で、弟の面倒見も良かった。信じられない」とぼう然とした。

 このバスでは依然として行方不明の園児がおり、職員たちが、流れ着いた木材やがれきなどをかき分けて捜索を続ける。

 また、もう1台の園児18人を乗せたバスは、数百メートル流された。職員2人が水につかりながら園児を近くの民家の2階に運んで助け出した。しかし、園児の救助で力尽きた女性職員は流され、死亡した。

 鈴木園長は「残った(行方不明の)子どもたちも、なんとか早く見つけてあげたい」と沈痛な面持ちで語った。
 石巻市の「日和(ひより)幼稚園」では、園児の送迎バスが津波にさらわれ、その後に起きた火災に巻き込まれ、4〜6歳の園児5人が死亡した。

 斎藤紘一園長(67)によると、送迎用のマイクロバスは午後2時51分にいつも園を出発するが、11日は地震の激しい揺れが収まるのを待って園児12人を乗せ、石巻湾近くの園児の自宅がある住宅街に向かった。
 途中で7人の園児を降ろした後、男性運転手(59)が津波に気付き、園児5人を乗せたまま高台にある幼稚園に引き返した。しかし、勢いを増して迫ってきた津波にのみ込まれた。さらに、近くのガソリンスタンドから漏れた油に引火した炎に包まれてしまった。
 水が引いたバスの中や近くから、園児5人の遺体が収容された。男性運転手は津波の衝撃で意識を失い、気づいた時に建物の屋根にいて一命をとりとめたという。添乗員の運転手の妻(59)は行方不明となっている。
 斎藤園長は「みんな明るく元気で、笑顔の絶えないお子さんでした。非常に無念」と話した。
 がれきの中に横転したバスは焼き尽くされ、園児が座っていた小さな座席も焼け焦げて、鉄枠がむきだしになっていた。窓ガラスもなく大きくへこんだ車体が津波の衝撃の大きさを物語る。
 幼い命が奪われたことを悲しむ住民が、車内に花や水、チョコレートなどのお菓子を供える。園の職員たちは毎朝、線香を供え続けている。


 

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