家族とは響き合い、助け合いである。己に返って導け。 | |
人は皆、何人も多くの思いをかかえて生きています。 ・時に 「頑張らなければならない」と自身を鼓舞したり、 ・時に 「まっ、いいか」と妥協してみたり 多面性を宿しています。大同小異、何人も多重人格です。 しかし、人が寄り添えばバラバラなものがトータルで丸くなるようになっています。 だから、個人1人を見ると 人生は「右往左往・迷い」の連続で欠陥にあふれていても 人と人が、「共鳴し響き合い」補い合って物事を成就し、自他共に進化していくのです。 Aさんは、100%、積極的 ・Bさんは、100%、怠慢 だとしたら、人と人は、どこにも共鳴点が生まれずスレ違いの連続です。 そればかりか、どこにも飛躍のチャンスはなくなります。しかし ・Aさんは、90%、積極的 10%怠慢 ・Bさんは、90%、怠慢 10%積極的 というように、わずかばかりでも万人が、あらゆる性分を宿しているのです。 これが仏教でいうところの「一念三千論」です。(詳しくは、他項「感応の法則」) わずかばかりの共鳴点を共有し、響かせ合う事ができるからこそ、そこに人間関係が成り立ち、 心豊かな社会が成立するのです。 ですから、まずこの地球では、どこから始めなければならないか? というと、言うまでもなく「家族」です。 天は絶妙にも、この「響かせ合い」のトレーニングが成立するように、切っても切れない縁として 地球の人間生活には「家族」を成立させているのです。これは類い希な地球だけの特性です。 つまり、家族の「響き合い」→「助け合い」というのが正常な流れであり 開運の秘術です。 この小セルで正常な流れが生まれれば、運気が変わるのは勿論、 世の巡りを変える大きな原動力となります。 逆に言えば、世の乱れとは、畢竟、家族の乱れに外ならないのです。 理想たる ●「響き合い→助け合い」 ではなく、家族が ●「無関心→責め合い・奪い合い」 となっているのです。 こうならないように、よくよく私たちは家庭生活を見つめ直す必要があるのです。 何と言っても、ここが原点だからです。ですから、もっと、もっと、家族の言葉や行動に敏感 でなければなりません。
例えば、普段はとても優しい良い子なのに、時として人が変わったように激昂する。 そういう場合 「ええ〜、どうしちゃったんだろう?」 と、うろたえ、我を失い、私の育て方が間違ったんだ!と、打ちひしがれ、 また時として、○○すべし、と安易に裁こうとする。ところが、上記した通り 「ああ、この性分は自分にもあるんだ 運よく自分は顕在していないだけなんだ」 と把握できると、
「そう言えば、私も、ついカッとなるんだよな〜、どうしようもなく自然となっちゃうんだ、 あの時もそうだったし、そう、あの時も・・・・ こんな時、理屈を言われて、ピシャリと裁かれたら反発しちゃうよな〜 私なら、そんな時、どんな風に対応してくれたら、納得して変わるかな〜? 過去にそんな事あったかな〜」
と、自身への自省を絡めると、様々な対応が生まれます。 ・その時、言葉は、裁きの言葉ではなく、「何かあったの?」となったり、 ・「母さん、なんか、悲しいよ〜」と素直な吐露の言葉だったり、 ・一緒に悩むしかない。今はそっとしておこう。 というようなスタンスになったりします。つまり「己に返って導く」ということです。 感情的なトラブルの場合は、それが一番の対処法であり、バランス良く生きる秘訣です。 つまり、子どもの様子は、己の鏡として、有り難くも子どもが、現わしてくれたのであり 大切な気づきを与えてくれた。と言うことになります。 そして、不思議と当人がクリアしなければならない課題は、同じくクリアしなけらばならない似た子が その人の子として家族に宿る場合が多いのです。 結局は、先の例で言えば、激昂の因縁を親から「気づき」、消していけば、 子の激昂が日に日にゆるんできます。不思議とそうなります。それが法則だからです。 さらに別の見方をすれば、家族は、奇跡的な因果があって寄り添った仲ですから、 かけがえのない「その子」には、あなたの自省から生まれたものでしか導けない。 そのカギを握っている。ということでもあるのです。 だから、決して、やすやすと「もう私の手に負えない」などと言ってはいけないのです。 「手に負えない子」が宿る、そんなことは、この世にありえません。 「手に負える子」しか宿らないようになっています。 繰り返しますが、家族のトラブルを簡単に片付けないで下さい。 他項「大難の前に必ず小難がおとづれる」で記した通り、 ・チョットした、子どもの激昂が・・・ ・チョットした、子どもの兄弟喧嘩が・・・ ・チョットした、夫婦のトラブルが・・・ と最小セルの家族で起こるトラブルの全てが
「小難に気づいて、早めに、そこで正しとけよ! もっと注意して家族を見よ! 注意して家族を見つめ、よろしく己に返って導けよ!」
と教えてくれているのです。これが因果の理です。 その理が解ると、当然ながら子供のあるべき姿勢も明らかになります。 誰が何と言おうとも、己を磨きジャンプするために「最高の親」のもとに魂を宿した。ということです。 親は、時に反面教師として、また我が人生最高の師匠として 「気づき」を頂くには最高のシチュエーションだという事です。 このことを忘れないで下さい。 だから、他の親・家庭と比べて、「うちは理解がない」だとか「ウザイ」とかは 愚かな発想であり、決して口にしてはならないのです。 親を責め・排斥する前に、そう言わしめた自分に気づく事です。 何人も己を磨くには最高の家庭環境の元で生活しているのですから。
どうぞ、親も子も夫婦も「己に返って導く」そのスタンスを大切にして下さい。 この時はじめて「響き合い→助け合い」が家族で成就し、 万象の巡りが開花していくのです。
※ 山形のNさん、宮崎のSさん、頑張って下さい。
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