思念は円環連鎖(循環)する | |
地球が循環の下(もと)に成立している通り、「思念」の世界も同様です。 「心の向き」も連鎖・循環しています。 例えば、仏教においては、「十如是」(※下記 注1)という教義があります。 いわゆる 「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」 の10のパーツで、これは、現実世界の事象を10のパーツで説明したものです。 その意味は 1,相(形の相) で、それぞれが感応連鎖するとします。 また、コミュニケーション理論を構築したイギリスのベイトソンによると 「円環的認識論」と呼ばれる論の中で「ある人物の行動が次の人の行動に影響を及ぼし、さらに それが第3の人に影響を及ぼす・・・」とし 直線的な因果系列は、大きな円環をなす因果系列の1部でしかない・・・ としました。 これらは、とても示唆に富んだ内容で、私達の日常生活においても、 このように思念が動いています。 特に大切なポイントは、思念が伝播・連鎖するのみならず、その作用が円環連鎖するということです。 下図をご覧下さい。
例えば、父親が子に対して その子の長所である「優しさ」を感じ、思念し、実際に「やさしいね」と言ったとします。 すると、その子は、嬉しくなりますが、単純に「父さんも優しいね」と言うとは限りません。 ある子は、父親の長所である ・「決断力あるよね〜」かもしれませんし、 ・「仕事、御苦労さん」かもしれません。 つまり、1つの言葉(かたち)となったものを単純に返すのではなく、その「向き」を返そうとするのです。 友人同士でも同様です 「あなたの目キレイね〜」 と言われれば、良い部分を見てくれた、と思い 「あなたの口元こそキレイよっ」 となります。 ここで「長所を見る」という「向き」が、双方向で展開します。 さらに、これで事態は終わりません。 大局的に見ると、十如是論やベイトソン(上記)が言っている通り、 思念は円環しようとしますから、父と子の循環を母親や祖父母・社会を巻き込んで 円環運動として展開しようとするのです。(ミクロな円環はマクロにスライドし円環しようとする) つまり、この思念の運動法則を使うと、いろいろと工夫が出来ます。 不孝にも妻は、 「旦那は、何の取り得・長所も見つからない、とんでもない夫だ、結婚は失敗だ」 と強く思い、とても優しい言葉なんて掛けたくもない。という心境だったとします。 そういう場合でも、子供なら見つけられる、というのなら 妻が子に対して、長所を見つけ、言えば良いのです。 その「向き」が父親にも遠因的に放射されるからです。 かくして、妻は2次的ではあるが父親の長所を見つけ、言った ということになります。 しかも、ここには無理がありません。 ※ 無理して長所を見つけ出すと、それはストレスを産み出し、逆に、ストレスが伝播することになります。 家族でも職場でも、友人関係でも 顔をヒクヒク引きつらせて、「あなた優しいわね」と言う必要はありません。 少し考えてみて、この人ならという人に素直にストレートに長所を伝える それで良いのです。こうして見ると次の3点がポイントになります。 ・無理をしない(無理はストレスを産み出す) ・好きな時、好きな人に・・・から始める ・思念は円環すると理解する(念じる必要はない、法則だから理解するだけでよい) ぜひ、おためし下さい。意外な展開がそこにはあります。
注1 十如是について 注2 ベイトソンについて (SAS総目次 へ)
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